人の生き死には止められないし、どうすることもできない。強いて言えば、報じられるまでは知らずに済み、全てが終わった後で知らされて感慨にふける、というようなパターンが最近増えているとも感じている(いわゆるコロナ除けという大義名分で、近親者のみで式を済ませ、49日前後に公表する、といったやり方)。
そう言った中で立て続けに二人の死去のニュースに触れて当方のメンタルもがた落ちである。
一人は、関西芸人のレジェンドでもあった上岡龍太郎氏だ。何しろ彼の生きざまの潔さがあまりに鮮烈過ぎる。
彼がいわゆる司会者として頭角を現したのは80年代後半あたり。様々な名番組が思い浮かぶが、関西人にとって金曜日のお楽しみと言ってもいい「探偵!ナイトスクープ」での局長役の見事なはまりっぷりが総括しているといっていい。ダメな取材をした探偵に容赦ない罵倒を浴びせる。そうかと思ったら、めったなことでは泣かない彼も感動を隠しきれない放送回も一度や2度ではない(泣き上戸の2代目・西田敏行局長時代は感動系がやたら多く感じたものだが)。的確な分析と、視聴者にも「なるほど」と思わせる解説。彼の魅力は、第三者的に俯瞰して物事を見る能力の高さにあったと思っている。
なんといっても、20世紀の笑いしかできないと、20世紀中に芸能界から引退、直後にはマラソンだのゴルフだのに勤しむ姿が週刊誌などで伝えられていたが、彼が公の場に姿を現したのは、名優・横山ノック氏の葬儀の時までない(手記や独占インタビュー的な仕事も受けていなかったようだ)。そこまで徹底した秘匿生活ができるだけの蓄えもあったからこそだろう。彼のような人生設計ができる芸能人はほぼ死滅してしまったのではないかと思う。名実ともに昭和の大物だった彼の死でまた一つ昭和が遠ざかったようだ。
彼の死は全日本的に損失と受け取れるものだが、全私的にとてつもない喪失感を植え付ける悲報が飛び込んできたのは、6月1日のことだ。
→そもそも大きく広報されることのない方であり、ひっそり式を挙行したいという意図もあってか、すでにお知らせツイートは削除されている。
彼の名前は、石川学氏。よくある名前の御仁ではあるのだが、2017年9月にとある一本の映画に関わった脚本家であり映画関係者でもあった。
→彼が脚本に関わった作品がこちら。
実のところを言うと、この映画のバックボーンを支えている「キミコエプロジェクト」によって結成された声優ユニット「Now On Air」は、活動休止を経て解散している(一人は廃業、一人は病死)。彼女たちをトリウッドで見ることはなかったけれど、石川さんは、キャラクターデザインの青木俊直さんと連れ立って、復活上映の度に鑑賞している姿を何度も目撃している。→当方がトリウッドにまで遠征したのは2018年が初めて。そしてたまたまではあるが、彼と青木氏を初めて認めた回のブログもあった。→こちら。奇しくもトリウッドでのラスト上映回に当方も参集していたもの
それなりに認知度もあったはずの私だが(そりゃ逢う度スーツ姿のオッサンだから)、一度オフ会的な会合でもそれなりに良いご意見を承った記憶もある。こんな脚本がかける人が、わずか50代でなくなるなんて……(ちなみに当方より年下だったとは、これまたびっくり)
どんな形であれ、彼が健筆をふるった作品を見たかっただけに、もはやそれがかなわないことに愕然としたのだった。
冒頭にも書いたが、人の生き死には突然やってくるし、避けられない。私だって、何かが悪さをしてこのままぽっくり、ということだってないとは言えない。もちろん他者起因によるものだってあり得る話だ。それでも、そのエンドマークを常に想起しながら人は生きているわけではない。"気が付いたら死んでいた"くらいのあっけなさこそが、人生における死生観と割り切った方がいいのではないか、と思ったりしている。
そう言った中で立て続けに二人の死去のニュースに触れて当方のメンタルもがた落ちである。
一人は、関西芸人のレジェンドでもあった上岡龍太郎氏だ。何しろ彼の生きざまの潔さがあまりに鮮烈過ぎる。
彼がいわゆる司会者として頭角を現したのは80年代後半あたり。様々な名番組が思い浮かぶが、関西人にとって金曜日のお楽しみと言ってもいい「探偵!ナイトスクープ」での局長役の見事なはまりっぷりが総括しているといっていい。ダメな取材をした探偵に容赦ない罵倒を浴びせる。そうかと思ったら、めったなことでは泣かない彼も感動を隠しきれない放送回も一度や2度ではない(泣き上戸の2代目・西田敏行局長時代は感動系がやたら多く感じたものだが)。的確な分析と、視聴者にも「なるほど」と思わせる解説。彼の魅力は、第三者的に俯瞰して物事を見る能力の高さにあったと思っている。
なんといっても、20世紀の笑いしかできないと、20世紀中に芸能界から引退、直後にはマラソンだのゴルフだのに勤しむ姿が週刊誌などで伝えられていたが、彼が公の場に姿を現したのは、名優・横山ノック氏の葬儀の時までない(手記や独占インタビュー的な仕事も受けていなかったようだ)。そこまで徹底した秘匿生活ができるだけの蓄えもあったからこそだろう。彼のような人生設計ができる芸能人はほぼ死滅してしまったのではないかと思う。名実ともに昭和の大物だった彼の死でまた一つ昭和が遠ざかったようだ。
彼の死は全日本的に損失と受け取れるものだが、全私的にとてつもない喪失感を植え付ける悲報が飛び込んできたのは、6月1日のことだ。
→そもそも大きく広報されることのない方であり、ひっそり式を挙行したいという意図もあってか、すでにお知らせツイートは削除されている。
彼の名前は、石川学氏。よくある名前の御仁ではあるのだが、2017年9月にとある一本の映画に関わった脚本家であり映画関係者でもあった。
→彼が脚本に関わった作品がこちら。
実のところを言うと、この映画のバックボーンを支えている「キミコエプロジェクト」によって結成された声優ユニット「Now On Air」は、活動休止を経て解散している(一人は廃業、一人は病死)。彼女たちをトリウッドで見ることはなかったけれど、石川さんは、キャラクターデザインの青木俊直さんと連れ立って、復活上映の度に鑑賞している姿を何度も目撃している。→当方がトリウッドにまで遠征したのは2018年が初めて。そしてたまたまではあるが、彼と青木氏を初めて認めた回のブログもあった。→こちら。奇しくもトリウッドでのラスト上映回に当方も参集していたもの
それなりに認知度もあったはずの私だが(そりゃ逢う度スーツ姿のオッサンだから)、一度オフ会的な会合でもそれなりに良いご意見を承った記憶もある。こんな脚本がかける人が、わずか50代でなくなるなんて……(ちなみに当方より年下だったとは、これまたびっくり)
どんな形であれ、彼が健筆をふるった作品を見たかっただけに、もはやそれがかなわないことに愕然としたのだった。
冒頭にも書いたが、人の生き死には突然やってくるし、避けられない。私だって、何かが悪さをしてこのままぽっくり、ということだってないとは言えない。もちろん他者起因によるものだってあり得る話だ。それでも、そのエンドマークを常に想起しながら人は生きているわけではない。"気が付いたら死んでいた"くらいのあっけなさこそが、人生における死生観と割り切った方がいいのではないか、と思ったりしている。