座組(出演者や監督をはじめとするスタッフ)を一目見て、鑑賞に至る作品が増えてきた。それもこれも、本数を見る→気に入った俳優・スタッフをどんどん知ることになる→彼らの動向をチェックする からだと思っている。私的に好きな監督さんは数人いるが「Dear Family」が最新作となる、月川翔監督作品は、絶対に見なければならないと思っている(主演が大泉洋氏というのもポイント高い)。
本作は、主演の二人の奇跡の組み合わせにうならされる。松村北斗といえば、直近作だと「キリエのうた」になるのだが、声優として出演した「すずめの戸締まり」で、宗像草太役を演じ、それなりに女性陣の動員に寄与した。そして、上白石萌音といえば、誰もが知っている「君の名は。」での宮水三葉役をフレッシュに、しかし力感たっぷりに演じた。
本作の企画がどのタイミングで持ちあがったのか、はよく知らない。キャスティングがたまたま被ることはあるかもだが、確信犯的に彼らを抜擢しようとした製作側の意図はどこにあるのか、二人の演技については、それほど実写で見てきていないこともあって、どういう感情が紡ぎ出されるか、に注力してみるつもりにしていた。よって、9日公開作品が林立する中で、本作を筆頭にあげた次第である。
さて、早くも結論から書かせていただく。こんな平板で、日常が淡々と描かれる、びっくりするような作劇が無い中で、画面設計や深刻さをそれほど感じさせない演出ぶりにうならされた。当初は86点と、案外なファーストインプレッションにしたが、92点に大幅上方修正してレビューを始めたいと思う。
本作の主人公二人は、心ならずも後天的な疾病を抱える若者として描かれている。PMSもパニック障害も、身近に該当者がいないだけで、実際にはそれなりに罹患している方が多くいらっしゃるのではないか、とも思う(PMSで5%ほど、パニック障害も100人に一人程度発症するらしい)。
そうした「心の病」を持っている人にしてみれば、いつ起こるともわからない症状におびえ、また、行動を制限され、病気のせいとはいえ異常行動が誤解を生み、社会生活からも弾き飛ばされてしまう。そんな二人がたまたま行きついた先は、勤務にそれほど堅苦しくない町工場だった。
二人がお互いを理解し、それでも尊厳を守り、病気の中身を知識として蓄えながら、前に進む。普通だったら、二人が手を取り合って歩んでいく=恋愛感情が生まれて付き合っていくというベタな展開が想起されるところだが、それをあえて行わない原作に寄り添った結末にはしんみりさせられる。
プラネタリウムが映し出したのは、夜の闇に光る星々だけではない。常に一日として同じ夜は来ないし、当然明けない夜もない。また、夜の闇も必ずやってくる。「夜明けのすべて」の持つ言葉の広がりと大きさをこのラストシークエンスがきれいにまとめ上げてくれている。
クライマックスと呼べるものはなく、むしろ二人がお互いの道を歩むという結末に、都合の良いクロージングばっかりが人生ではないですよ、といわれているようで、少し反省した。
映画として成立はしていても、果たして「お勧めできるか?」という命題には少し疑問符が付く。二人が症状に見舞われるときは、それなりに画面も緊張するが、それ以外はただの普通の会話劇。「だが、それがいい」といえる作品であったことだけは救いだった。
本作は、主演の二人の奇跡の組み合わせにうならされる。松村北斗といえば、直近作だと「キリエのうた」になるのだが、声優として出演した「すずめの戸締まり」で、宗像草太役を演じ、それなりに女性陣の動員に寄与した。そして、上白石萌音といえば、誰もが知っている「君の名は。」での宮水三葉役をフレッシュに、しかし力感たっぷりに演じた。
本作の企画がどのタイミングで持ちあがったのか、はよく知らない。キャスティングがたまたま被ることはあるかもだが、確信犯的に彼らを抜擢しようとした製作側の意図はどこにあるのか、二人の演技については、それほど実写で見てきていないこともあって、どういう感情が紡ぎ出されるか、に注力してみるつもりにしていた。よって、9日公開作品が林立する中で、本作を筆頭にあげた次第である。
さて、早くも結論から書かせていただく。こんな平板で、日常が淡々と描かれる、びっくりするような作劇が無い中で、画面設計や深刻さをそれほど感じさせない演出ぶりにうならされた。当初は86点と、案外なファーストインプレッションにしたが、92点に大幅上方修正してレビューを始めたいと思う。
本作の主人公二人は、心ならずも後天的な疾病を抱える若者として描かれている。PMSもパニック障害も、身近に該当者がいないだけで、実際にはそれなりに罹患している方が多くいらっしゃるのではないか、とも思う(PMSで5%ほど、パニック障害も100人に一人程度発症するらしい)。
そうした「心の病」を持っている人にしてみれば、いつ起こるともわからない症状におびえ、また、行動を制限され、病気のせいとはいえ異常行動が誤解を生み、社会生活からも弾き飛ばされてしまう。そんな二人がたまたま行きついた先は、勤務にそれほど堅苦しくない町工場だった。
二人がお互いを理解し、それでも尊厳を守り、病気の中身を知識として蓄えながら、前に進む。普通だったら、二人が手を取り合って歩んでいく=恋愛感情が生まれて付き合っていくというベタな展開が想起されるところだが、それをあえて行わない原作に寄り添った結末にはしんみりさせられる。
プラネタリウムが映し出したのは、夜の闇に光る星々だけではない。常に一日として同じ夜は来ないし、当然明けない夜もない。また、夜の闇も必ずやってくる。「夜明けのすべて」の持つ言葉の広がりと大きさをこのラストシークエンスがきれいにまとめ上げてくれている。
クライマックスと呼べるものはなく、むしろ二人がお互いの道を歩むという結末に、都合の良いクロージングばっかりが人生ではないですよ、といわれているようで、少し反省した。
映画として成立はしていても、果たして「お勧めできるか?」という命題には少し疑問符が付く。二人が症状に見舞われるときは、それなりに画面も緊張するが、それ以外はただの普通の会話劇。「だが、それがいい」といえる作品であったことだけは救いだった。