多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

半沢直樹

半沢が「歌舞伎」なら・・・あまちゃんは?

ついに!残すところあと一回になった「あまちゃん」。

「あまロス」なる新語も登場する等、社会現象化しているという点では既に最終話を迎えている「半沢直樹」に勝るとも劣らない状況であることは言うまでもない。
そもそも、今までの朝ドラで『なくならないで』なんていうような、感情を発露させるようなストーリーに仕立てられた脚本家が誰一人いないというところがキーポイントである。その点でも、宮藤官九郎氏が脚本を担当するという時点で、このフラグがたってしまったのかな、と思わずにはいられない。

さて、私は独自の視点で『半沢直樹は歌舞伎である』というブログをしたためたことは既に書いた。
決め台詞や長回し、一対一の対決など、実質的な歌舞伎とは違うものの、歌舞伎役者が小憎たらしい演技に終始するなど、歌舞伎の要素がこれっぽっちも入っていないとはとても言い切れないドラマである。このことが大ヒットに繋がったと見られ、日本人の深層心理にある、この伝統芸能を呼び起こしたからだと思う。

では、あまちゃんは何であるか?
いろいろ考えた結果・・・。「吉本新喜劇である」と結論付けようと思う。
吉本新喜劇の基本形・・・プロットは、座長が主役を張り、ゲストがお話のキーポイントに座り、それを取り巻く人間模様を笑いあり、涙あり、最後にずっこけて終わる、なんていうのが定番である。

実は、このドラマの「座長」は天野アキであることは疑いようもないのだが、キーポイントになる人物は、実は「夏ばっば」こと、天野夏(宮本信子)ではないか、と金曜日の放送を見て思ったからである。
そういえば・・・。皆さんも放送回をいろいろと思い出してほしい。直近では「海女カフェ」の復活を言い出したアキに対する周囲の反対を一蹴したのは夏である。そのものの言いよう・・・これは完全に主役を食った演技(まあ、巧者ですから当然ですが)であり、説得力もある。おそらく、夏ばっばの存在なくしては物語りはいろいろと前に進んでいないことは確実である。

金曜日の、披露宴での演説。ここに吉本で言うところの「お涙頂戴」シーンをダブらせると、ほぼ結論が見えている・・・吉本で言えば、相手が改心する/真実を打ち明けるなど、まさにホロッとさせる瞬間・・・このタイミングでの語りは、まさに最終回に繋がる「大ずっこけ」を想定させるにふさわしい落としどころ(クールダウン)と見て取れる。

吉本新喜劇らしさは、随所に現れている。既に流行語になってしまっている「じぇじぇじぇ」にしても、吉本流で言えばだれもが一つのギャグを持って舞台で披露するのとほとんど変わらない。違いといえば舞台の上でこけないだけの話だ(それに近いことも実際幾度かあったがww)。ボケの部分がないわけではなく、その担当はもっぱらアキであるところも吉本的。それにさんざん突込みを入れるのが周りであり、どんどん引き込まれるのは、大衆演劇的でもあるからである。

人生苦難の連続/最終回も不完全燃焼だった前作「純と愛」とは比べ物にならない最終回が待っていそうな予感。このドラマは追いかけていてよかった、といえる作品に出来るかどうか。最終回までカウントダウンが始まった。

半沢直樹は「現代の歌舞伎」である

大好評だったと思われる「半沢直樹」の最終回を何度となく録画したものを再生している。

主演の半沢が見せる、攻撃的な上目遣いの顔立ちは「倍返しだ」の名せりふと共に、いまや一部のアイコンとまで化している。
基本的に悪役、というか、半沢に敵対する勢力のことごとくが悪役化してしまっている。逆に半沢側についている人間は、家族は勿論、同僚であっても「虫も殺さないような」人間として描かれている。
その一方で、立ち回りを演じるときの半沢、そして敵対する勢力側は、まさに丁々発止の弁論を繰り広げる。どちらが善でどちらが悪か・・・。視聴者は、そのせめぎあいにわくわくするものを待ち、見事半沢が論破してやんやの喝采を浴びせるのである。

特に最終話。この半沢VS大和田常務の芝居は、はっきり言ってドラマ史上に残る名勝負と評されることはまちがいない。下っ端の一サラリーマンが、上層部の人間に土下座をさせる。確かに恨という感情も発露していたとはいえ、ここまでのことをさせてしまう・・・(まあ、普通だったら、誰かが止めますわね。たとえ大和田が特別背任に等しい行為をして半沢に暴かれたとは言っても、常務取締役の地位はあの時点でも健在だったわけであり、頭取にたしなめられてもやめなかったあたりに、半沢と自分は相容れないとする頭取の判断が働いた可能性もあるだけに、ラストの導出にも結びついたといえなくもない)
だから、すごいのだとは思えるのだが、こういった大仰な芝居をしている両名を見て、又、その「顔芸」を見ていてはっと気が付いた。

  ・・・「半沢直樹」って、現在によみがえった歌舞伎なのではないか、と。

実際、敵役だった香川照之は、知る人ぞ知る歌舞伎役者でもある(最近襲名したばかりではあるが、市川中車をも名乗る)。
あの狼狽する演技、半沢に追い詰められどんどん自我が崩壊していく様。自分はしたくないのに腰が、脚が、土下座をさせる方向に向かっていくあの過程・・・。一世一代の大立ち回りだといっても過言ではない。

勿論、泣きながら、感情を爆発させる堺雅人演じる半沢も当然負けてはいない。とはいえ、あの場面、土下座をしてしまったことでストーリー上は大和田の敗北、「判定負け」が確定したものの、演技としては、十分に勝利していた。その姿を見て、何の慰めも、分かち合おうとするそぶりも見せず会場を後にした半沢のスルー振りがすべてを得てしまったことで自分を見失う結果になったと思っている。

ガラッと人格的にも変わっていく堺の演じた半沢。ストーリーの荒唐無稽振りにこの人のエキセントリックな演技があればこそヒットしたものであることはいまさら私が言うまでもない。ただ感情を表にだし、分かりやすく記号化することで、善か悪かを見極めることは、いわば「隈取」によって善悪をはっきりさせる歌舞伎とまったく同じなのである。
時代劇では「悪役俳優」がその役割を担って来ていたが、現代劇ドラマでは、固定観念による善玉/悪玉の区別は付きにくくしてある。頭取役でもあった北大路欣也が実は相当の悪であることが最終回で分かるというのも、意外などんでん返しでもある。

ヒットの要因はもっと他にもあるだろうが、半沢が「歌舞伎スタイル」でヒットしたことは、今後、いろいろなところで言われると思う。
素人判断ですが、この論調、意外と正鵠を得ていると思うんですが、どうでっしゃろ?

わたしの中では「想定の範囲内」 2013.9.22 半沢直樹 最終回

池井戸 潤氏といえば、ここ最近のドラマ/特に経済が絡む骨太の内容に定評があり、このテレビドラマ「半沢直樹」効果もあって、書籍の方も良く売れているようである。

池井戸氏原作のドラマ、すごくおもしろいなと思っていたのは、NHKでやっていた「7つの会議」という4回切りのドラマを見たときである。内容は、ネジの強度不足に絡む、創業当時からの隠蔽体質と、強引な営業方針。それに気がついたものが次々「消されて(殺されはしないが視野から消えていく)」行くことに。渦中に放り込まれた主人公も、その闇に気がつき、真相を究明しようとする。そしてたどり着いた先は・・・。

人間関係の複雑さ、善側と思われた人があっけなく悪の道に入り込む(正確には、善と刷り込まれていただけのことであり、視聴者をあざ笑うかのようにガラッと反転させるあたり、すごく上手いと思った)所など、引き込まれる要素は多分にある。

実はこれほどの話題作、真剣に見ていなかったのである。理由は、裏番組。母親のBS韓国時代劇のおかげで、見事にかぶったこともあり視聴に至っていなかったのだ。
ただ、言わずもがな、で、見ていなくても、周りから情報は一杯入ってくる。1クールドラマで流行語まで作れる脚本力と表現力があるこのドラマ。最終回の展開も非常に気になっていた。

もはやほとんどの方が見て頂いたと思うので、ネタバレの部分の記述は避ける。ただ、当方としては、ドラマの常道として、そして池井戸氏のこれまでの人物描写から言って「一筋縄ではいかない」「ハッピーエンドはありえない」と思っていた。
実際、最後の会議のシーンは、結構な長回しの部分もあり、あのテンションでずっと撮影していたのかと思うと、登場人物たちの緊張感たるや、ものすごいものがあっただろう。そして念願の、常務を土下座させるシーンは、悪役を屈服させたのに敗北感というか、諦め感というか、やりきった感しか見て取れず、スタスタと会場を後にするところは入れてほしくなかったところだ。
ここからラストの数分間は、頭取として「どちらを取ったか」に注目が集まるわけで、解雇同然の常務は降格どまり。たいして本来功労者として扱われるはずの半沢には「出向」の辞令。とはいうものの、さんざん仲間内や家庭内の描写が入ってきたことで、「あ、これはwww」と感付いてしまっている私がいた。持ち上げて持ち上げてすとんと落とす。ほとんどの人には「ウワ、そんなラストって」と思っていただろうが、それは素人の視聴者。
100倍返しされたのは実は本人だという、最高の落ちが付いた。めでたしめでたし。出る杭は打たれるのだよ〜〜〜わかったぁ?という頭取の含蓄ある「処分」には思わず笑ってしまったほどだ。

まあ、所詮偽善者を装う半沢みたいなバンカーは要らないのだ、ということも見て取れ、原作者が見てきたメガバンクの世界もほぼこれと同様のやり取り(いや、常務を土下座させるとかクレイジーすぎますしww)があればこその緊迫感あふれる描写になっているのだと思う。
不満たらたらな最終回レビューも多いだろうが、この二人の処遇をめぐった頭取の一言・・・君を銀行家として評価している(元常務にかけた言葉) がすべてを言い表している。勧善懲悪といいながら、最終的に「正義は必ずしも勝たない」を提示し、「こいつに対する復讐を誓う」かのような顔つきのエンディング。続編製作の予定もなくこれで終了とは、TBSも残念な結果にしてしまったものである。
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