多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

天気の子

今一度、「天気の子」の水にまつわるシーンを振り返る

「天気の子」での、当方の東京水没シーンにおけるスタンスは、これをもとにしている。
この言質に驚かれた方もいらっしゃるだろう。だが、「たかがワンシーン」と切って捨てられない、そんなことが起こりえるはずがない、ということを初見で見抜いたところは自分で自分をほめたい。

映画は、2021.8.22からの3年後(正確には2年半後)、東京は水没しつつあり、そしてそれは、やむを得ない事象としてとらえることを観客に"強制"してくる。それは「帆高と陽菜は上空で結ばれた」と思しき大団円の後に持ってくる、ビターエンドな=陽菜を引き戻したからこの結末が導出される ことを認識させようとする。
だが、ちょっと待ってほしい。
実は、2021.8.22は、「晴れた」ことのみならず、「水没している都心」も描かれているのだ。もちろん、せいぜいくるぶし程度まで。多くても10センチ程度と見られる。
それを円盤で確認してみよう。
陽菜が人柱となって空に上がり、翌朝はまぶしいばかりの青空がのぞいていた。だが、帆高は官憲にとらえられ、ラブホテルから出てくる。池袋のラブホ街は水浸しであった。ローカットのスニーカーが水没するくらい水深はある(1:17:06/時間は円盤の経過タイム)。10センチは確実だ。公園の水たまりで戯れる児童、秋葉原駅前もほぼ同規模浸水している。1:17:35で上空から映されているのは、亀戸駅周辺(実は、場所特定したのは今回、この記事を書こうと思って初めて挑んだ。atreと印象的な歩道橋ですぐに見つかった)。ここにも水没して立ち往生している車両が放置されている描写がある。ちなみに鉄道と並行して走っているのは、京葉道路たる、国道14号線だ。
次のカットでは、鉄道至近の横断歩道を歩く人たち。この時点でも、10センチ程度浸水している。1:17:46のリーマンの嘆息「空が高いなぁ」のシーンでもそれくらいの水深になっている。
そして、K&Aプランニングのシーン(1:19:26〜)。かなりの水量が認められるのだ。なぜか、須賀は、水浸しになることを恐れる様子もなく、むしろ「晴れた」ことに喜びを感じた衝動の方が大きくて窓を開けてしまう。もちろん大量の水が入ってきて、室内を大きく濡らす。室内の水深は、同じく7,8センチだ。
池袋署の前も大々的に浸水している(1:19:57)。ここも水深は10センチ程度だ。ハイ。ここまで奇妙なことにほぼ同一の水深なのだ。

一晩、大量の雨が降ったとはいえ、「浸水している」ことをここまで列記して来たが、すべての地点で水が滞っている。排水が追いつかないことはあるかもだが、ここまで大規模に雨水が貯まることはありえるのだろうか?そしてこれが後々の「ネタフリ」=ちょっとした大雨で都市部はたやすく浸水する ことを言いたかったとしても何ら疑問はない。

さて、帆高は池袋署から逃走する。1:20:52からの描写も面白い。実際の池袋署の位置から帆高は、劇場通りのドン付きまで行って、そこに止めてあった自転車に手をかける。画像上は、上に位置するはずの池袋署は水が溜まっているのに、坂を下ったところにいる帆高のいる周辺はカラッとしているのだ。このあたりは土地勘のある方ならお気づきだろうが、あんな坂は存在しない。微妙に地形を変えているとわかる。夏美の乗ったカブが時折水たまりを突っ切るのは、普通に雨上がりの描写としてあり得る。
次に大きな水たまりが出てくるのは、須賀がアメを手放そうと、扉から出てくるシーン(1:23:20〜)。ここの水深は半地下になっていることもあり、ビールケースからも10センチ以上はあると見ている。
その次は夏美帆高の乗ったバイクが冠水した道に突っ込むところ(1:26:04〜)。当初目白近辺かと思っていたが、駅を通り過ぎた、新宿区下落合2丁目付近だった。いやあ、グーグルマップさん、いい仕事してくれる。ここの水深は「コアラ配送」トラック並びに夏美の腰あたりまでは浸かっているので、70センチ程度はあるとみていい。

2021.8.22の昼までで、大きな水たまりが描かれているのはここまでだ。

場面は変わり、2024年3月。帆高は上京する。それは見るも無残な水没した東京だった。
俯瞰でフェリーと水没したレインボーブリッジが大写しになる、1:40:19。水面上に出ているケーブルたちから、確実に70m以上の水深が確認できる(ケーブルが一番たわんでいる最下部が、主塔(126m)から56m下=水面から70m)。計算すると、どんなに少なく見積もっても、80mはあるのだ(計算上は81.2m)。
そして運命の1:40:23。画面上わずか数分でさらに水深は深くなり、計算上は92.4m。主塔の残り具合から、水深100mをぶち上げたのは大げさでも何でもなかったのだ。
冨美の家に行った際、大きく俯瞰した東京近郊が描かれる(1:41:57)。ここは等高線を引けばどこまで沈んでいるのかわかるような形を取っている。
K&Aを出てから、現状の東京が描かれる。ところが、いきなり出てきたのは「ただの雨の出勤風景」(1:43:32)。その次に大きな川の護岸工事。おそらく旧市街を放棄した形で海抜のやや高いところに新しい街ができつつあるのだろう。
そしてまたしても水没しまくっている浜松町近辺の画像が出る。ここの水深に付いては、すでにブログで紹介済なのでそちらをご覧いただきたい。→こちら
その次は都心の某所(1:43:42)。だが、ここは、トラックやバスの浸水状況から、1m弱の水深しかない。幹線道路と思しき、道路の行き先表示版(うっすらと「千住 上野」と確認できる。4号線の可能性大だ)からも、足立区やその先、埼玉県の可能性も少しある。
ラストは当然田端だ。ホームは完全に水没している。新幹線の橋脚もほぼ全部水中だ。10mはあるだろうか?

私がことさらに水深に関して述べているのは、帆高が無理やり、「人柱」と化した陽菜を天空から連れ戻した結果の浸水・水没ではない、と感じているからである。それは、すでにいくつかのブログで解説したとおりである。
要約すると、
・レインボーブリッジが水没させられるなら、それ相応の海面上昇は避けられない
・降水量が莫大でないと、この現象は起こりえず、当然世界規模の水害になっている
・箇所ごとで水深が違う事象を解消する最適解が見いだせない
ことである。

物語を変えた隕石落下。そこにフォーカスした結果、史実は一つ、誰も死なない歴史しか存在しなかったと高らかにうたいあげた「君の名は。」。だが「天気の子」では、一つの物理現象−−−ずっと降り続いた雨による浸水状況−−−が、場所ごとに異なった事象として提示されることで、大きな矛盾をはらんでしまったのだ。
この矛盾を解決できるのは、原作者である新海氏を置いてほかにいない。何となれば、彼の理論や構想・後始末を知る立場に我々がないからである。ひょっとすると「レインボーブリッジが水没?」としらばっくれる可能性もなくはない(僕はあえて沈めてほしくなかったし、あの映像が提示されたことで、どうしても評価上位に行けなくなってしまっている)。

水浸しになった世界。奇しくも、天気の子が公開された2019年の10月、武蔵小杉のタワマンが建っている一帯が浸水被害にあったことを覚えておいでだろうか?→ネット記事 ここで言われている浸水高さは1.4m。それでタワーマンションは電源を喪失して生活が成り立たなくなるのだ(その時は、運不運もあり、すべてではなかったのは不幸中の幸いだが、天気の子の浸水後の世界では確実にこれらは骸と化しているはずだ)。オフィスビルも同様。それ以前に、建物に入ることすらままならなくなる。
それでも帆高も陽菜も「生きている」し、「大丈夫」だと謳っている。ここがすごいのだ。

物理的・数学的にあのシーンを解析すればするほど、袋小路に入ってしまい、そこから動けなくなる「天気の子」。この作品の最大にして、超難問の回答を得られるのはいつの日のことだろうか?

2021.1.3 地上波初放送「天気の子」感想

鑑賞しながらの実況、それが終わってからの自分自身のブログに誘導するツイートなどで忙しくなってしまった。
落ち着いた今だからこそ、この作品の感想を大手を振って言える。

そう。あのラストシーンがすべてだと思うのだ。新海作品は、須らく、ラストシーンの芳醇さが際立っている。それは今までの作品の変遷を見てもうかがえる。
「言の葉の庭」では、作った自作の靴を、知り合った御苑のあずまやに持っていき、自分も新たな一歩を踏み出す決意を宣言するシーンで〆たし、賛否分かれる「秒速5センチメートル」だって、貴樹が、次のステップに向くべく、やや微笑みながら、歩き出すのだ。「会わなくても生きていける」。このメッセージ性が大きかった。
だが、「君の名は。」からは、「逢わせる」ことこそ至高だと、路線を転換した。決して会うことなど叶わないはずの電車の車窓での偶然の邂逅。須賀神社でまるで待ち合わせしたかのように出会う二人。出来すぎであるとは思うが、そういった物理的な瑕疵が全く気にならないほどの最高のエンディングになっている。「天気の子」では、そこまでの小細工はしない。せいぜい、「なぜか陽菜は祈っている」というシーンを内包させるだけにとどめてある。そこからの帆高の号泣ぶり、そして振り返った、天使のような陽菜。直後顔をくしゃくしゃにして帆高の元に飛び込む陽菜。そして、この作品の大テーマといえる「大丈夫」というセリフで締めるのだ。

大丈夫。
今現代はほとんどの人が大丈夫ではないだろう。コロナウィルスが生活まで破壊する事態を引き起こすなんて、誰が考えただろうか?ほだひなの世界線では、自分たちが引き起こしたにせよ、そうでないにせよ、水位が上がり、土地の奪い合いも日常茶飯事に起こっているであろう、カオスな世界がそこに広がっている。生活に支障をきたしているという点では、映画が現実に追いついた、といえなくもない。
だから、その先見の明を過剰に評価する人もいる。「新海は先が見通せていたのだ」と。
だが、これには異議を唱えたい。ずっと降り続く雨は不条理で、自然現象だからこそ抗えず、なすすべもない人間を描いただけであって、未来がこうなるとは、本人は思っていないはずだ。

陽菜を連れ戻す。その直情的感情に動かされた帆高の真の思いは、あの指輪を渡した時のセリフ「ずっと一緒だ」に集約されていると思っている。瀧が「大事な人、忘れたくない人、忘れちゃだめな人」とひとりごちたのと同じ立ち位置にいたと思っている。
この作品は、より一層新海誠の作家性を進化させたのと同時に、彼が次に届けようとする作品の一つの踏み台になっていると思う。ラストシーンの芳醇度合いがさらに進化するのか、どうか?鋭意製作中とされる作品にも目が離せない。

あー、びっくりしたwwwwww

2021年1月3日は、「天気の子」地上波初放送日だった。
私は、というと、ツイッターで実況をするという行動に出たのだが、まあ、よろしければそれもおっていただきたい。
端緒のツイートはこちら。すべてつなげたツリーにしてあります。尚、50回つぶやきました。

当方は、公開当初からこの作品の良しに付け悪しきにつけ、細かく解析・独自の解釈を重ねてきた。しかし、自分の書いたブログの記事のことまではすっかり忘れていた。

地上波初放送の記事を書こうと思ったら……びっくり仰天の275PV/168UUという望外な結果が飛び込んできた。アクセス解析すると、ものの見事に、「天気の子」の解析記事ばかりが読まれているではないか!!
ほっと胸をなでおろすと同時に、「解析厨、ここにあり」をご理解いただけて本当に恐縮である。すべての人に閲覧いただいたことへの感謝は述べられないので、改めてここで御礼を申し上げる所存である。
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