多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

安倍晋三

これでも「9条堅持」でいる人たちの気が知れない

何か重要な行事の前に、突如起こるとんでもない凶行。3年前の7月に起こった、放火犯による大量殺戮は、「逆恨み」がもたらした無差別テロであり、防ぎようがなかった(建物の構造がぁ、とか、防火体制がぁ、とか言っていた輩もいたが、失火であるならまだしも、放火にそういった理論を持ちだすことがむしろナンセンスだ)。
今回の安倍元首相の襲撃事件は、仮に容疑者が殺意を募らせていたにしても、抑止力であるところの警護態勢がしっかりしていれば、確実に防げた事案であることは間違いがない。何しろ、容疑者は「機会をうかがっていた」のだから、このときを逃すまい、と思ったのは当然である(岡山にも行っていたことが何よりの証拠。ただ、今回の奈良行きは急きょ決まったものであり、それなりに情報をゲットしていたんだろう)。
360度、開けた場所で演説を始めさせ、要人警護の歴史上、最低にして最悪の結果となった今回の事案。そこにあるのは、「平和ボケ」「襲ってなんか来るはずない」「俺たちがいるから」という間違った認識がすべてであり、それは、安倍氏を平和を享受し、油断している日本、容疑者を侵攻の機会を狙う諸外国、という風な図式に落とし込むと、よくわかる話である。

憲法改正すると「戦争ができる国になる」と妄言を吐く層が一定数居る。しかし、戦争は一国ではできないし、今の日本がどこかの外国相手に宣戦布告すれば、シーレーンを封鎖され、たちまち食糧・エネルギーの入手ができなくなり、ウクライナほどの粘り腰で戦線を維持することはできなくなる。このことだけを取っても、日本が戦争を「始める」ことは不可能だ。
では、他国から攻められたらどうだろうか?9条教の信者は、この点については必ずと言っていいほど口をつぐむ。それはそうだ。日本が国柄を維持できているのは、アメリカに作ってもらった憲法(安保反対なら、このことをもってしても矛盾が生じるんだけど、60年代の時にこれをしなかったことが護憲派の育成につながってしまっている)があるからだ。占領時に草案が作られ、以来70数年。日本が当事国になる可能性が増している中でも、そしていくら戦争をしたくないと思っても、攻められたらいやでも戦端を開かねばならない。それが護憲派にはわかっていない。
「酒でも酌み交わして」「9条の理念を世界に」。世迷いごとは、左翼、いや、パヨクの伝統芸だが、防御防衛はやりすぎてもしすぎることはない、と今回の襲撃事件でよくわかったと思う。この一大事を改憲派は言うに及ばず、護憲派も考えを改める一つの試金石にしてもらいたいものだ。

人の生き死には止められない

白昼堂々の狙撃(本当にSPはどこ守ってたの?)をやすやすと実行させてしまう警備体制のザルぶりにあっけにとられる今回の安倍元首相に対する銃撃事件は、普通なら、つい立てや背面盤などで「背後を護る」ということがあるべきなのに、それもなく、ほとんど丸裸の状態。選挙カーなどで応援演説をしていれば、不審者の近づくことも容易に察知できたはずだが、元職のせいかどうか、わからないが、ほぼ雑踏と同じ目線。さっきも書いたが、背後に張り付くようなSPの姿も見られない。
そして今回の2発の銃声なのに流れ弾がなかったことについてはこう推察する。
・一発目は、音の出る「空砲」
これで、周りを硬直化させる。「なんだろ?」と思わせることができれば御の字。大量に吐いた白煙がそれこそ、自分を煙に巻く効果もある。そしてその間に対象者に近づく。
・二発目が致命弾であることは明らか
一発目で倒れているわけではないし、音も二発目の方が鈍く感じる。しかも至近距離。お手製であっても、事前に殺傷能力は計ってきているはず。むしろ、至近距離に近づくための方策が一発目だと考えている。
・至近距離だから、破片を一身に浴びた可能性
周りのスタッフがだれ一人ケガをしていないところに疑問は残る。散弾銃なら、いくばくかの流れ弾はあってしかるべきだし、一方銃創があちこちにあるのは散弾である証拠。犯人の独自理論ではじけさせるような仕掛けを施してあった可能性はある。

襲ってください、といわんばかりの警備体制と、足のつかない自作銃での凶行。乱射できる構造の銃ではなく、ましてSPを巻き添えにすらしていないゴルゴ並みの的確な殺戮劇。単独犯の可能性は高いが、犯人の41年間の人生の中に、安倍氏を殺さねばならない、という沸々とした殺意がどう醸成されていったのか、は気になるところだ。

かくして名宰相は凶弾に倒れてしまった。67年の生涯は短い、ともいえるが、これほど毅然とした首相はいなかったんではないだろうか。今の首相が頼りないだけに、余計に偉業や功績に目が行ってしまうのは仕方ないか。お疲れさまでした。安らかにお眠りください。

アベガーの行く末を案じる52歳最後の日

ちょっとだけ、私が「いやな予感」を抱いていたのは偽らざる事実だ。
2週連続の病院訪問。ただ検査結果を聞きに行くだけなら、秘書官あたりで十分だ。深刻なものでなければ……。
だから、というわけではないが、ちょびっとばかり、売りで入っていたFXは、綺麗に大幅プラスをもたらしてくれた。そう。木曜日深夜のドル円のV字回復とそれにつられた買いにのせられた人たちを手玉にとれたのだ。(ちなみに、午後イチで付けた106.94円を頭にあっという間に106円割れ。105.20まで実に1円70銭のくだりっぱなし。)

まあ、成功体験をここでひけらかすのが目的ではない。
任期を全うできるかどうかが8/17の時点で怪しくなった、という予想ができていた識者(政界内部含めて) がどの程度いただろうか?それどころかやめろコールを日夜激しくしているパヨク界隈は、意外なほどに静かだった。
それはここまでの結末を予想できていなかったからだ。まさに政治は一寸先は闇。
でも、辞めさせることに傾注している界隈は、いざ辞めるとなると、恨み節とも「やめないで~~」とも取れるヘンテコな叫びをツイッターにあげている。
→その最たるものが、高校に風評被害を与え続けている芸人のこのつぶやき
要約すると、「("´_ゝ`)フーン」と無関心を装っているようで、攻撃相手がフィールドから急に去ることに戸惑いを隠しきれていない様子がうかがえる。飯の種(ちやほやしてくれるお仲間と、バカにするネトウヨとのバトルが見れるんだもの、面白いに決まっている)が居なくなるんだからそうなる。
普通なら「#安倍辞めろ」までやってきた張本人なのだから、どういう結末であれ本懐を遂げたんだから大喜びするのが筋だ。私だって、今の野盗のトンデモ野郎が辞任するか、失職したらやんやの喝さいを浴びせるところだ。ところがそれがない。本文では「喜びも感慨もない」となっている。攻撃対象が姿を消すとどうなるのか……いみじくもこの芸人はその心情を露呈してしまったようだ。

口汚く安倍辞めろ!!と言い募っていたアベガーパヨクたちは、両手でも足りないくらい思い浮かぶ。彼らは「アベ憎し」が行動原理になってしまっている。アベが居なくなった後の世界を思い浮かべられないかわいそうな人たちなのだ。
任期を全うできなくて、むしろよかったのかもしれない。だってあと1年近くアベガーを言い続けないといけなかったんだから。
次が誰になるか、で彼らの言質がどう変わるのか、目が離せない。
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