何か重要な行事の前に、突如起こるとんでもない凶行。3年前の7月に起こった、放火犯による大量殺戮は、「逆恨み」がもたらした無差別テロであり、防ぎようがなかった(建物の構造がぁ、とか、防火体制がぁ、とか言っていた輩もいたが、失火であるならまだしも、放火にそういった理論を持ちだすことがむしろナンセンスだ)。
今回の安倍元首相の襲撃事件は、仮に容疑者が殺意を募らせていたにしても、抑止力であるところの警護態勢がしっかりしていれば、確実に防げた事案であることは間違いがない。何しろ、容疑者は「機会をうかがっていた」のだから、このときを逃すまい、と思ったのは当然である(岡山にも行っていたことが何よりの証拠。ただ、今回の奈良行きは急きょ決まったものであり、それなりに情報をゲットしていたんだろう)。
360度、開けた場所で演説を始めさせ、要人警護の歴史上、最低にして最悪の結果となった今回の事案。そこにあるのは、「平和ボケ」「襲ってなんか来るはずない」「俺たちがいるから」という間違った認識がすべてであり、それは、安倍氏を平和を享受し、油断している日本、容疑者を侵攻の機会を狙う諸外国、という風な図式に落とし込むと、よくわかる話である。
憲法改正すると「戦争ができる国になる」と妄言を吐く層が一定数居る。しかし、戦争は一国ではできないし、今の日本がどこかの外国相手に宣戦布告すれば、シーレーンを封鎖され、たちまち食糧・エネルギーの入手ができなくなり、ウクライナほどの粘り腰で戦線を維持することはできなくなる。このことだけを取っても、日本が戦争を「始める」ことは不可能だ。
では、他国から攻められたらどうだろうか?9条教の信者は、この点については必ずと言っていいほど口をつぐむ。それはそうだ。日本が国柄を維持できているのは、アメリカに作ってもらった憲法(安保反対なら、このことをもってしても矛盾が生じるんだけど、60年代の時にこれをしなかったことが護憲派の育成につながってしまっている)があるからだ。占領時に草案が作られ、以来70数年。日本が当事国になる可能性が増している中でも、そしていくら戦争をしたくないと思っても、攻められたらいやでも戦端を開かねばならない。それが護憲派にはわかっていない。
「酒でも酌み交わして」「9条の理念を世界に」。世迷いごとは、左翼、いや、パヨクの伝統芸だが、防御防衛はやりすぎてもしすぎることはない、と今回の襲撃事件でよくわかったと思う。この一大事を改憲派は言うに及ばず、護憲派も考えを改める一つの試金石にしてもらいたいものだ。
今回の安倍元首相の襲撃事件は、仮に容疑者が殺意を募らせていたにしても、抑止力であるところの警護態勢がしっかりしていれば、確実に防げた事案であることは間違いがない。何しろ、容疑者は「機会をうかがっていた」のだから、このときを逃すまい、と思ったのは当然である(岡山にも行っていたことが何よりの証拠。ただ、今回の奈良行きは急きょ決まったものであり、それなりに情報をゲットしていたんだろう)。
360度、開けた場所で演説を始めさせ、要人警護の歴史上、最低にして最悪の結果となった今回の事案。そこにあるのは、「平和ボケ」「襲ってなんか来るはずない」「俺たちがいるから」という間違った認識がすべてであり、それは、安倍氏を平和を享受し、油断している日本、容疑者を侵攻の機会を狙う諸外国、という風な図式に落とし込むと、よくわかる話である。
憲法改正すると「戦争ができる国になる」と妄言を吐く層が一定数居る。しかし、戦争は一国ではできないし、今の日本がどこかの外国相手に宣戦布告すれば、シーレーンを封鎖され、たちまち食糧・エネルギーの入手ができなくなり、ウクライナほどの粘り腰で戦線を維持することはできなくなる。このことだけを取っても、日本が戦争を「始める」ことは不可能だ。
では、他国から攻められたらどうだろうか?9条教の信者は、この点については必ずと言っていいほど口をつぐむ。それはそうだ。日本が国柄を維持できているのは、アメリカに作ってもらった憲法(安保反対なら、このことをもってしても矛盾が生じるんだけど、60年代の時にこれをしなかったことが護憲派の育成につながってしまっている)があるからだ。占領時に草案が作られ、以来70数年。日本が当事国になる可能性が増している中でも、そしていくら戦争をしたくないと思っても、攻められたらいやでも戦端を開かねばならない。それが護憲派にはわかっていない。
「酒でも酌み交わして」「9条の理念を世界に」。世迷いごとは、左翼、いや、パヨクの伝統芸だが、防御防衛はやりすぎてもしすぎることはない、と今回の襲撃事件でよくわかったと思う。この一大事を改憲派は言うに及ばず、護憲派も考えを改める一つの試金石にしてもらいたいものだ。