当方が複数回見る映画の特徴はいくつかある。
例えば、「狂ってしまった」作品。第一作目になった「君の名は。」は、2016.10.1の初見以降、いつまでたっても余韻がまとわりつき、仕事してても、電車に乗ってても、そのことばかりが頭から離れない。
その次が「自分が応援しなくては」と思わされる作品。映画キミコエ、若おかみ、かがみの孤城、アイ歌……。人知れず終わってしまうくせに名作だった作品を拾い始めてから、複数鑑賞度合いは激しくなっている。
「ただひたすら面白い」作品もそうだ。それと「そのシーンを見に行く」作品も多い。「映画大好きポンポさん」は大鉈を振るう手が止まるあのシーンで、感情の抑えが利かなくなる。「二人で倒せたんだな」の「FF14 光のお父さん」も初見で大号泣に至った一本だ。
「窓ぎわのトットちゃん」もついに、というかようやく2回目鑑賞ができた。初見の時の、小林先生の一挙手一投足にくぎ付けになっていく私自身を俯瞰してみてみると、小林先生は、教育者である以前ににんげんだった、ということが言える。肥溜めをひしゃくですくって財布を見つけようとするトットを叱るでなし、止めさせるでなし。放任しているようにも見えることから「人の心とかないんか」と思ってしまう人も出てくるかもしれないが、先生のほったらかしの本心は、納得のいくまでやらせる=やりきることの重要性を表しているんだと思う。そこに見つかる、という副次的な効果を期待していないのだ。だから、やり切ったトットを見てほほ笑むのだ。
以前のレビューにも書いたが、今の教育界が忘れてしまったことが、この映画にはいくつも盛り込まれている。全体主義に毒されていた中にあって、いやいやながらシンボルの彫刻を変えるくらいには恭順していた学校であっても、非戦の誓いのような風潮が育っていたことには注目すべきだ。ヤジられ、攻撃を受けても、決して手は出さない。それどころか、言論で打ち負かしている。あの時の小林先生の背中を見るだけでぐっとくる。
この作品が複数回鑑賞作になり、そして忘れえぬ一本になったのは、音楽室に貼られていた敵軍艦の撃破ポスターを小林先生が、びりびりに破るシーンだ。今回、周りが見たら、なんでここで、と思われるくらいぐじょぐじょになった。あの行動に、小林先生のすべてが言い表されていると思ったからだ。戦争が原因で、敵をやっつけて悦に入っている、軍を称賛することを強制させる、自由な発想を一切させない管理統制の場に学校をしてしまっていることに対する静かな怒りだと思っているからだ。直後のトットちゃんとの会話シーンは、未来を向くトットが上座、小林先生は下座に座っている。最後の青森に向かう列車は、右から左に行こうとして、大きく右にカーブする。ただ幸せがそこにいたわけではないことを暗示するいいクロージングだとも思った。2回目で、トットが泰明ちゃんに最後のお別れをしたシーンで、彼の独白が入るのだが、あれ、トットと最後に別れたシーンで彼がひとりごとのように言っていたセリフではないのか、と気が付いて、また頭を抱えてしまった。
僕らは、どちらかというと大作やヒット作ばかりに目を向けがちだ。しかし、この作品が持つ意図は、凡百の作品にはない重みと未来志向というものを感じる。キャラデザの好みはわかれるところだと思うが、中身がより重要だ。見ないと損な一本になったといっていい。
例えば、「狂ってしまった」作品。第一作目になった「君の名は。」は、2016.10.1の初見以降、いつまでたっても余韻がまとわりつき、仕事してても、電車に乗ってても、そのことばかりが頭から離れない。
その次が「自分が応援しなくては」と思わされる作品。映画キミコエ、若おかみ、かがみの孤城、アイ歌……。人知れず終わってしまうくせに名作だった作品を拾い始めてから、複数鑑賞度合いは激しくなっている。
「ただひたすら面白い」作品もそうだ。それと「そのシーンを見に行く」作品も多い。「映画大好きポンポさん」は大鉈を振るう手が止まるあのシーンで、感情の抑えが利かなくなる。「二人で倒せたんだな」の「FF14 光のお父さん」も初見で大号泣に至った一本だ。
「窓ぎわのトットちゃん」もついに、というかようやく2回目鑑賞ができた。初見の時の、小林先生の一挙手一投足にくぎ付けになっていく私自身を俯瞰してみてみると、小林先生は、教育者である以前ににんげんだった、ということが言える。肥溜めをひしゃくですくって財布を見つけようとするトットを叱るでなし、止めさせるでなし。放任しているようにも見えることから「人の心とかないんか」と思ってしまう人も出てくるかもしれないが、先生のほったらかしの本心は、納得のいくまでやらせる=やりきることの重要性を表しているんだと思う。そこに見つかる、という副次的な効果を期待していないのだ。だから、やり切ったトットを見てほほ笑むのだ。
以前のレビューにも書いたが、今の教育界が忘れてしまったことが、この映画にはいくつも盛り込まれている。全体主義に毒されていた中にあって、いやいやながらシンボルの彫刻を変えるくらいには恭順していた学校であっても、非戦の誓いのような風潮が育っていたことには注目すべきだ。ヤジられ、攻撃を受けても、決して手は出さない。それどころか、言論で打ち負かしている。あの時の小林先生の背中を見るだけでぐっとくる。
この作品が複数回鑑賞作になり、そして忘れえぬ一本になったのは、音楽室に貼られていた敵軍艦の撃破ポスターを小林先生が、びりびりに破るシーンだ。今回、周りが見たら、なんでここで、と思われるくらいぐじょぐじょになった。あの行動に、小林先生のすべてが言い表されていると思ったからだ。戦争が原因で、敵をやっつけて悦に入っている、軍を称賛することを強制させる、自由な発想を一切させない管理統制の場に学校をしてしまっていることに対する静かな怒りだと思っているからだ。直後のトットちゃんとの会話シーンは、未来を向くトットが上座、小林先生は下座に座っている。最後の青森に向かう列車は、右から左に行こうとして、大きく右にカーブする。ただ幸せがそこにいたわけではないことを暗示するいいクロージングだとも思った。2回目で、トットが泰明ちゃんに最後のお別れをしたシーンで、彼の独白が入るのだが、あれ、トットと最後に別れたシーンで彼がひとりごとのように言っていたセリフではないのか、と気が付いて、また頭を抱えてしまった。
僕らは、どちらかというと大作やヒット作ばかりに目を向けがちだ。しかし、この作品が持つ意図は、凡百の作品にはない重みと未来志向というものを感じる。キャラデザの好みはわかれるところだと思うが、中身がより重要だ。見ないと損な一本になったといっていい。