幕末から明治維新、その途上に起こった内乱は、近代日本の中にあって、最大にして最後の大立ち回りだった。大政奉還から鳥羽伏見の戦いを経て、五稜郭の戦いで幕を閉じるまで、2年近くを要している。この激動の時代を描いた小説やテレビドラマ・映画は、概ねヒットしやすい傾向にある。映画では、「燃えよ剣」(岡田准一主演・当方未見)や、完結した「るろうに剣心」(佐藤健主演/シリーズすべて未見)、大河では「八重の桜」や「新撰組!」、「西郷どん」がそれに当たる。
それは、ヒーロー然とした人たちが綺羅星のごとく出てくるからであり、また、儚い死を迎えるからである。今回の「峠」で描かれる河井継之助も、先見の明を持っていた、「最後のサムライ」として描くのではないか、と思っていた。
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※尚、公開日が2021.6.18になっていますが、本来は2020年9月予定。しかも、この公開日も反故にされ、さらに一年経っての公開となった。
もう最初っから得点を発表する。がっがり度合いが半端ない75点だ。いくら名優・役所広司氏が主役であっても、河井をぼんやり描いてしまったのでは、「どこに感情移入すればいいのよ」となったことは間違いない。
河井の幼少期からでも描くなり、彼の人となりに対する理解がないままに、妻・おすが役の松たか子のナレーションで本作はつむがれる(ラストの〆も彼女)。慶喜の長台詞でスタートするのもドン引きだが(そこはナレーションで済ませようよ、なんで尺取ったのかなぁ)、兵隊教練のシーンからの幕開けは、「やる気満々」を印象付けてしまう。それは、武力も保持した状態で、家老として藩を焦土にしたくないという一心から、中立を目指すという当時としては都合のよすぎる理念が彼の行動原理になっている。
官軍にも理解してもらおうと腐心するあたりの、出向いて説得するシーンがやたら長かったのだが、こうした説明に過ぎる部分が全体的なテンポを著しく乱してくれる。ここは史実に基づいており、交渉役の岩村誠一郎には当方とも相性の悪い吉岡秀隆が演じていたのだが、この程度のキレ芸でいいのなら、あえて彼ほどの俳優を使わなくてもよかったのではないか、と思う(キレさせたら右に出るものがいない、と思っている月亭方正あたりでも十分に務まるし、無名な人でも良かった)。
交渉が決裂してさあ戦争や、となっても、大きな草原とかで相見える、というタイプの戦場は描かれず、山や峠を一つの要害として描くものだから、ちまちましているのだ。なんといっても一番がっかりしたのは、ガトリングガンのあまりにしょぼい戦果だ。連発銃の威力は、弾が無尽蔵に放たれるからこそ発揮するものであり、マガジン(50発程度/一瞬で打ち終わり)を付け替える手間と時間の間に進軍されれば、いくら殺傷能力が高くても焼け石に水である。河井御自慢の武器がこの体たらく。当然勝利したとしても長続きせず、結局敗走する。
継之助が足を負傷し、歩くこともままならなくなってからの冗長ぶりがさらに拍車をかける。生き急いだ感じの、駆け足感はどこにもなく(本人が怪我しているから余計に感じる)、療養とともに衰え、死期を悟る風に見せていた(死因は破傷風だとされている)。最後のシーンは、人によっては、屋敷ごと焼却した風に見て取った人もいたのだが、かなり意味深に受け取れる場面だった。
藩主の仲代達也、師範役のAKIRA、親友である榎木孝明、佐々木蔵之介もいい味出していた。留守宅で、プレゼントされたオルゴールを情感一杯に聞く松たか子、立派に死んでいった息子に対する思いを刀に込めた父親役の田中泯とか言う名優の太刀捌きには感動した。
私自身、「英雄たちの選択」などで知った時点では、河井については結構肯定的に評価をしていた人だったが、この映画の自説を曲げず、時代に乗り遅れ、自己陶酔におぼれていたとしか見れない河井を見せられて、評価を一変せざるを得なかった。彼の一存で決まってしまった長岡藩の末路と領民の塗炭の苦しみ。ヒーロー的に描かなかったことを是とするならその目的は達せられたと思うが、評伝としての出来は今一つだったと評価するにとどめる。
それは、ヒーロー然とした人たちが綺羅星のごとく出てくるからであり、また、儚い死を迎えるからである。今回の「峠」で描かれる河井継之助も、先見の明を持っていた、「最後のサムライ」として描くのではないか、と思っていた。
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※尚、公開日が2021.6.18になっていますが、本来は2020年9月予定。しかも、この公開日も反故にされ、さらに一年経っての公開となった。
もう最初っから得点を発表する。がっがり度合いが半端ない75点だ。いくら名優・役所広司氏が主役であっても、河井をぼんやり描いてしまったのでは、「どこに感情移入すればいいのよ」となったことは間違いない。
河井の幼少期からでも描くなり、彼の人となりに対する理解がないままに、妻・おすが役の松たか子のナレーションで本作はつむがれる(ラストの〆も彼女)。慶喜の長台詞でスタートするのもドン引きだが(そこはナレーションで済ませようよ、なんで尺取ったのかなぁ)、兵隊教練のシーンからの幕開けは、「やる気満々」を印象付けてしまう。それは、武力も保持した状態で、家老として藩を焦土にしたくないという一心から、中立を目指すという当時としては都合のよすぎる理念が彼の行動原理になっている。
官軍にも理解してもらおうと腐心するあたりの、出向いて説得するシーンがやたら長かったのだが、こうした説明に過ぎる部分が全体的なテンポを著しく乱してくれる。ここは史実に基づいており、交渉役の岩村誠一郎には当方とも相性の悪い吉岡秀隆が演じていたのだが、この程度のキレ芸でいいのなら、あえて彼ほどの俳優を使わなくてもよかったのではないか、と思う(キレさせたら右に出るものがいない、と思っている月亭方正あたりでも十分に務まるし、無名な人でも良かった)。
交渉が決裂してさあ戦争や、となっても、大きな草原とかで相見える、というタイプの戦場は描かれず、山や峠を一つの要害として描くものだから、ちまちましているのだ。なんといっても一番がっかりしたのは、ガトリングガンのあまりにしょぼい戦果だ。連発銃の威力は、弾が無尽蔵に放たれるからこそ発揮するものであり、マガジン(50発程度/一瞬で打ち終わり)を付け替える手間と時間の間に進軍されれば、いくら殺傷能力が高くても焼け石に水である。河井御自慢の武器がこの体たらく。当然勝利したとしても長続きせず、結局敗走する。
継之助が足を負傷し、歩くこともままならなくなってからの冗長ぶりがさらに拍車をかける。生き急いだ感じの、駆け足感はどこにもなく(本人が怪我しているから余計に感じる)、療養とともに衰え、死期を悟る風に見せていた(死因は破傷風だとされている)。最後のシーンは、人によっては、屋敷ごと焼却した風に見て取った人もいたのだが、かなり意味深に受け取れる場面だった。
藩主の仲代達也、師範役のAKIRA、親友である榎木孝明、佐々木蔵之介もいい味出していた。留守宅で、プレゼントされたオルゴールを情感一杯に聞く松たか子、立派に死んでいった息子に対する思いを刀に込めた父親役の田中泯とか言う名優の太刀捌きには感動した。
私自身、「英雄たちの選択」などで知った時点では、河井については結構肯定的に評価をしていた人だったが、この映画の自説を曲げず、時代に乗り遅れ、自己陶酔におぼれていたとしか見れない河井を見せられて、評価を一変せざるを得なかった。彼の一存で決まってしまった長岡藩の末路と領民の塗炭の苦しみ。ヒーロー的に描かなかったことを是とするならその目的は達せられたと思うが、評伝としての出来は今一つだったと評価するにとどめる。