そりゃ、私だって、そこそこにアンテナを広げているつもりである。
その中にあって、ここ最近の映画業界の「ダークホース」的な作品の存在には驚きを禁じ得ない。
「若おかみは小学生!」「カメラを止めるな!」は、その代表格だし、今となっては「そのカテゴリーに入るのか?」といっても過言ではない「君の名は。」にしたって、せいぜい15億くらい取れればいい方だろう、というのが興行主の見立てだった。
今作「映画すみっコぐらし とび出す絵本とひみつのコ」は、公開初日は凡百の日本映画と同じようなスロースタート(10万席に対し、8000弱)だったのだが、翌11/9土曜日には同規模ながら4万人に迫ろうとする興行。先週の日曜日にはさらに伸ばして42000人余り。土日興行ではなんと、「JOKER」を抜いて3位にランクイン。もちろん邦画トップである。
そしてこの土日も正直「何が起こっているのか」というレベルの込み具合になっている。ちなみに私は最寄りの神戸国際松竹で見ようと思ったのだが、なんと土曜の夕方の時点で全上映回満席という珍事という名の快挙がなされ、仕方なくまたしてもイオンシネマ京都桂川に向かうことになってしまったのである。
余裕をぶちかまし過ぎて、自宅をもう10分遅く出ていたら、間にあっていなかったんではないか、と思えるタイミングだったのだが、なんとか滑り込みセーフ。ロビーは、確かに異様な雰囲気に包まれていた。そりゃそうだ。250人箱に当たる9番スクリーン。そこに満員に限りなく近い客が押し寄せようとしているのだから、無理もない。
もともとすみっコぐらし自体が女の子とかが好きそうなキャラ設定。当然のように見ている主鑑賞層は、10代前後の女児がメインだった。それでもお一人様も散見。隣りに座ってきたのは女児だったのだが、お母さんは鑑賞せず、付添札を持って入場していた。そんなシステムがあるとはつゆ知らなかった。平均は、20歳後半。50歳代男性/ソロなんていう特異データはこの圧倒的な10代女児の前になすすべもないのだった。
映画は、実際そう言った女児とか向けに面白おかしく序盤は構成されている。キャラ紹介も3分くらい使って丁寧にしているし、何より、ゲストである「黒っぽいひよこ」はここでも出てこない。レギュラー陣が紹介終わって、一行は喫茶店に向かう。そこで、飛び出す絵本からのギミックが発動して、絵本の中に吸い込まれてしまうのだ。
かくして一行は絵本の中の世界で、主人公になりながら、その世界を堪能していく。その過程で、突如現れるのがひよこちゃんである。ひよこちゃんが出てくる物語は、彼らが主役となる5作品……桃太郎、赤ずきんちゃん、人魚姫、マッチ売りの少女、アラビアンナイト……には出てこない。しかも、全てキャラに沿ったキャスティングになっているところがすごい。例えば、赤ずきんちゃんは、オオカミに食われる設定であるので、とんかつの端っことエビフライのしっぽが担当しているのだが、その狼ですら食べてもらえないという不遇ぶり。これは面白悲しかったりする。
だが本当の作劇はここからだった。結局5作品のどれでもないとわかって、みんなは意気消沈するのだが、たどり着いたのは、「みにくいアヒルの子」だった。ああっ!と私も膝を打つ。これがあったやん……だが、実際にこの子は白鳥の子供ではなかったと知らされる。「あれ?」
彼はただの余白にかかれた、ストーリーも何もない、落書きのひよこだったと知らされ始めてから、館内の状況が笑い一杯から一気に空気も変わっていく。「あ、これ、アカンやつや」になるころには、すみっコたちとの友情もはぐくまれていくのだが、いつまでも本の中に居るわけにもいかない。別れの時は刻一刻と迫っていたのだった。
得点はズバリ、97点としたうえで、ベスト10入りは確実とまでの内容と判定した。
最後半は、いのっちこと、井ノ原快彦の邪魔wなナレーションもなくなり、絵柄と音楽だけでストーリーを展開させるという力技に挑戦するのだが、すでに物語の中に入り込めている我々にとって、その"別れ"が現実のものになるときに、言いようのない感情にとらわれるのだ。あの元に戻るときに、せっかく作った花飾りが壊れてバラバラになっていく描写が言いようのない虚しさと前に進むギミックにもなっていて、尚且つ、一番の仲良しでもあったペンギンが一人残ろうと行動するところなんか、のちの伏線にもなっているという念の入れよう。
とにかく無駄なセリフや勿体付けた演出に一切頼らず、ここまでの作品に仕上げられる脚本力。大の大人が涙にくれる程度にはしっかり練られていた。
しかも、エンドロール中には、ラストシーンで描かれた、「一人じゃなくなった」ひよこと戯れる、ひよこと化した主人公たちとの交流が描かれ、これまた涙腺を励起させられた。限られた、というより決して長くない65分の尺を考えるなら、この後日談的な演出にはしてやられた。
この最後半の演出を疑問視する人たちもいるようだ。つまり「物語を無理やり作ってつながりを持たされることになったひよこ」は果たして幸せといえるのか、といった意見だ。まあその考え方も否定はしない。落書きといういわばはみ出しものを描いたのだから、そのままでいることが重要と考えるのもありだと思う。まさに「すみっコ」なのだ。だが、そこまで奥の深いストーリーではないと思うし、すみっコたちの想いが純粋だから、ひよこを孤独にしない、あの時の友情を忘れまいとした行動と見るなら、かなり納得のいくものだと思う。
いずれにせよ、大人たちを号泣させる手腕はすごい。またしてもヨーロッパ企画、ということでうまいところに発注したなぁと思うことしきりである。
その中にあって、ここ最近の映画業界の「ダークホース」的な作品の存在には驚きを禁じ得ない。
「若おかみは小学生!」「カメラを止めるな!」は、その代表格だし、今となっては「そのカテゴリーに入るのか?」といっても過言ではない「君の名は。」にしたって、せいぜい15億くらい取れればいい方だろう、というのが興行主の見立てだった。
今作「映画すみっコぐらし とび出す絵本とひみつのコ」は、公開初日は凡百の日本映画と同じようなスロースタート(10万席に対し、8000弱)だったのだが、翌11/9土曜日には同規模ながら4万人に迫ろうとする興行。先週の日曜日にはさらに伸ばして42000人余り。土日興行ではなんと、「JOKER」を抜いて3位にランクイン。もちろん邦画トップである。
そしてこの土日も正直「何が起こっているのか」というレベルの込み具合になっている。ちなみに私は最寄りの神戸国際松竹で見ようと思ったのだが、なんと土曜の夕方の時点で全上映回満席という珍事という名の快挙がなされ、仕方なくまたしてもイオンシネマ京都桂川に向かうことになってしまったのである。
余裕をぶちかまし過ぎて、自宅をもう10分遅く出ていたら、間にあっていなかったんではないか、と思えるタイミングだったのだが、なんとか滑り込みセーフ。ロビーは、確かに異様な雰囲気に包まれていた。そりゃそうだ。250人箱に当たる9番スクリーン。そこに満員に限りなく近い客が押し寄せようとしているのだから、無理もない。
もともとすみっコぐらし自体が女の子とかが好きそうなキャラ設定。当然のように見ている主鑑賞層は、10代前後の女児がメインだった。それでもお一人様も散見。隣りに座ってきたのは女児だったのだが、お母さんは鑑賞せず、付添札を持って入場していた。そんなシステムがあるとはつゆ知らなかった。平均は、20歳後半。50歳代男性/ソロなんていう特異データはこの圧倒的な10代女児の前になすすべもないのだった。
映画は、実際そう言った女児とか向けに面白おかしく序盤は構成されている。キャラ紹介も3分くらい使って丁寧にしているし、何より、ゲストである「黒っぽいひよこ」はここでも出てこない。レギュラー陣が紹介終わって、一行は喫茶店に向かう。そこで、飛び出す絵本からのギミックが発動して、絵本の中に吸い込まれてしまうのだ。
かくして一行は絵本の中の世界で、主人公になりながら、その世界を堪能していく。その過程で、突如現れるのがひよこちゃんである。ひよこちゃんが出てくる物語は、彼らが主役となる5作品……桃太郎、赤ずきんちゃん、人魚姫、マッチ売りの少女、アラビアンナイト……には出てこない。しかも、全てキャラに沿ったキャスティングになっているところがすごい。例えば、赤ずきんちゃんは、オオカミに食われる設定であるので、とんかつの端っことエビフライのしっぽが担当しているのだが、その狼ですら食べてもらえないという不遇ぶり。これは面白悲しかったりする。
だが本当の作劇はここからだった。結局5作品のどれでもないとわかって、みんなは意気消沈するのだが、たどり着いたのは、「みにくいアヒルの子」だった。ああっ!と私も膝を打つ。これがあったやん……だが、実際にこの子は白鳥の子供ではなかったと知らされる。「あれ?」
彼はただの余白にかかれた、ストーリーも何もない、落書きのひよこだったと知らされ始めてから、館内の状況が笑い一杯から一気に空気も変わっていく。「あ、これ、アカンやつや」になるころには、すみっコたちとの友情もはぐくまれていくのだが、いつまでも本の中に居るわけにもいかない。別れの時は刻一刻と迫っていたのだった。
得点はズバリ、97点としたうえで、ベスト10入りは確実とまでの内容と判定した。
最後半は、いのっちこと、井ノ原快彦の邪魔wなナレーションもなくなり、絵柄と音楽だけでストーリーを展開させるという力技に挑戦するのだが、すでに物語の中に入り込めている我々にとって、その"別れ"が現実のものになるときに、言いようのない感情にとらわれるのだ。あの元に戻るときに、せっかく作った花飾りが壊れてバラバラになっていく描写が言いようのない虚しさと前に進むギミックにもなっていて、尚且つ、一番の仲良しでもあったペンギンが一人残ろうと行動するところなんか、のちの伏線にもなっているという念の入れよう。
とにかく無駄なセリフや勿体付けた演出に一切頼らず、ここまでの作品に仕上げられる脚本力。大の大人が涙にくれる程度にはしっかり練られていた。
しかも、エンドロール中には、ラストシーンで描かれた、「一人じゃなくなった」ひよこと戯れる、ひよこと化した主人公たちとの交流が描かれ、これまた涙腺を励起させられた。限られた、というより決して長くない65分の尺を考えるなら、この後日談的な演出にはしてやられた。
この最後半の演出を疑問視する人たちもいるようだ。つまり「物語を無理やり作ってつながりを持たされることになったひよこ」は果たして幸せといえるのか、といった意見だ。まあその考え方も否定はしない。落書きといういわばはみ出しものを描いたのだから、そのままでいることが重要と考えるのもありだと思う。まさに「すみっコ」なのだ。だが、そこまで奥の深いストーリーではないと思うし、すみっコたちの想いが純粋だから、ひよこを孤独にしない、あの時の友情を忘れまいとした行動と見るなら、かなり納得のいくものだと思う。
いずれにせよ、大人たちを号泣させる手腕はすごい。またしてもヨーロッパ企画、ということでうまいところに発注したなぁと思うことしきりである。