皆さんが抱く「最終回」のイメージはどういうものだろうか。
子供のころ、好きだったアニメーションが最終回を迎えるとき、それこそ正座して、一時も目を離さず、焼き付けるかのようにしてみていた記憶がありありと目に浮かぶ。
だから、最終回がとんでもない演出や「これでおしまいってか?」と目をこすってしまうようなふざけたものだったりした場合に、今までの応援が無に帰すようにさえ思われ、がっかりしてしまうことも度々あった。その背景には「打ち切り」という突然死、つまり物語を正常に終わらせないことによる無理やり感と、整合性が取れないことから来る矛盾がそうさせているのだと思う。
とどのつまり、「終わりよければすべてよし」なのである。『あまちゃん』の最終回を見終えて、そして、今この記事を書こうとして「純と愛」の最終回を見比べて、最終回の持つ意味がどれだけ重要なのかを感じずにはいられない。
何しろ、東北の復興は道半ばどころか、端緒にたったといえるかどうかというレベル。その中で、お祝いムードしか感じられないオープニング。周りの人たちも笑顔、えがお、笑顔。海女の浜でも、ウニは豊漁。そして、架空アイドル「潮騒のメモリーズ」の復活で、最終回は最高潮を迎える。鉄道が復活したことを自分のことのように喜ぶ地元の人。元気を、勇気を与えることの出来る列車の底力をまざまざと感じてしまったシーンでもある。
ラストシーンは、ユイとアキが、長いトンネルを抜けたところでエンド。「長いトンネル」が復興にいたる長い道のりであり、出口が新しい東北をイメージしている、分かりやすいメッセージ。そこで終わらせるあたりがすばらしい。
この良作を見終えてから、『純と愛』のラストを見るのは苦痛以外の何者でもない。ぼろぼろになったままのホテルではなく、なぜか断崖絶壁での復活宣言。心情の吐露という意味では悪くはないとはいえ、最終回にすることか、とこの時点で一気にボルテージは下がっていく。何しろ、ホテルをそのままにしておくはずがない、復活に向けた最後の一押しが必ずあるはずだ・・・引っ張るだけ引っ張って、何もなかったのだから、がっかりしたのは当然だ。
そうなると最後のよりどころは、意識の戻らない愛の処遇である。キスはする。「ねむり姫」とは逆のパターンだったからか、チョッと最後に反応が激しかった程度で、意識が戻った描写はなく、そこでエンドマーク。。。。。。
期待させるメッセージを内包し、東北はがんばっている/まげねぇ!という意思表示が分かる最終回と、なんか、悲劇のヒロインを演じてしまっているだけの最終回・・・。
前回の比較検討では、「逆オマージュ」などという言葉を使ったが、この「純と愛」の最終話を意識しているつくりであることは、本人が否定しようと明らかである。全体的な明るさや、もはや主役である天野アキはほぼ埋没。祝賀ムード一色の中で小ネタがちらほらまかれる程度。一種「ミュージカル」的な演出も最後を飾るにふさわしい。こんなにぎやかで、それでいて、感動も出来る最終回が今まであっただろうか、とまで言ってしまう最終話だった。
「あまロスシンドローム」なる現象まで生み出したあまちゃん。このドラマが日本全体に与えた影響は計り知れない。実際、東北に脚を運んでいる人は半端なく、関連商品やCDも異例といえるヒットを飛ばしている。とはいえ、ヒットしすぎて、主役の能年玲奈嬢の今後・・・天野アキから抜け出せない・・・がちょっぴり心配な小生ではある。
子供のころ、好きだったアニメーションが最終回を迎えるとき、それこそ正座して、一時も目を離さず、焼き付けるかのようにしてみていた記憶がありありと目に浮かぶ。
だから、最終回がとんでもない演出や「これでおしまいってか?」と目をこすってしまうようなふざけたものだったりした場合に、今までの応援が無に帰すようにさえ思われ、がっかりしてしまうことも度々あった。その背景には「打ち切り」という突然死、つまり物語を正常に終わらせないことによる無理やり感と、整合性が取れないことから来る矛盾がそうさせているのだと思う。
とどのつまり、「終わりよければすべてよし」なのである。『あまちゃん』の最終回を見終えて、そして、今この記事を書こうとして「純と愛」の最終回を見比べて、最終回の持つ意味がどれだけ重要なのかを感じずにはいられない。
何しろ、東北の復興は道半ばどころか、端緒にたったといえるかどうかというレベル。その中で、お祝いムードしか感じられないオープニング。周りの人たちも笑顔、えがお、笑顔。海女の浜でも、ウニは豊漁。そして、架空アイドル「潮騒のメモリーズ」の復活で、最終回は最高潮を迎える。鉄道が復活したことを自分のことのように喜ぶ地元の人。元気を、勇気を与えることの出来る列車の底力をまざまざと感じてしまったシーンでもある。
ラストシーンは、ユイとアキが、長いトンネルを抜けたところでエンド。「長いトンネル」が復興にいたる長い道のりであり、出口が新しい東北をイメージしている、分かりやすいメッセージ。そこで終わらせるあたりがすばらしい。
この良作を見終えてから、『純と愛』のラストを見るのは苦痛以外の何者でもない。ぼろぼろになったままのホテルではなく、なぜか断崖絶壁での復活宣言。心情の吐露という意味では悪くはないとはいえ、最終回にすることか、とこの時点で一気にボルテージは下がっていく。何しろ、ホテルをそのままにしておくはずがない、復活に向けた最後の一押しが必ずあるはずだ・・・引っ張るだけ引っ張って、何もなかったのだから、がっかりしたのは当然だ。
そうなると最後のよりどころは、意識の戻らない愛の処遇である。キスはする。「ねむり姫」とは逆のパターンだったからか、チョッと最後に反応が激しかった程度で、意識が戻った描写はなく、そこでエンドマーク。。。。。。
期待させるメッセージを内包し、東北はがんばっている/まげねぇ!という意思表示が分かる最終回と、なんか、悲劇のヒロインを演じてしまっているだけの最終回・・・。
前回の比較検討では、「逆オマージュ」などという言葉を使ったが、この「純と愛」の最終話を意識しているつくりであることは、本人が否定しようと明らかである。全体的な明るさや、もはや主役である天野アキはほぼ埋没。祝賀ムード一色の中で小ネタがちらほらまかれる程度。一種「ミュージカル」的な演出も最後を飾るにふさわしい。こんなにぎやかで、それでいて、感動も出来る最終回が今まであっただろうか、とまで言ってしまう最終話だった。
「あまロスシンドローム」なる現象まで生み出したあまちゃん。このドラマが日本全体に与えた影響は計り知れない。実際、東北に脚を運んでいる人は半端なく、関連商品やCDも異例といえるヒットを飛ばしている。とはいえ、ヒットしすぎて、主役の能年玲奈嬢の今後・・・天野アキから抜け出せない・・・がちょっぴり心配な小生ではある。