多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

羊と鋼の森

映画鑑賞記録を振り返る(3) 邦画でベンチマーク的作品が現れるとは

私の映画鑑賞記録の中で、100点満点が付いた作品は3タイトルある。そのうちの2タイトルは、「あの」作品だろう、と思われたかもだが、「君の名は。」「天気の子」いずれも99点なのだ。意外なことにアニメーション映画はないのだ(以前なら「火垂るの墓」が125点→100点だったのだが、スクリーンで見ることが無くなったので現状のランキングにはそぐわないとみている)。
ではなになのか?一本は洋画の「THE GUILTY」。北欧映画らしいアンニュイな絵面なのに電話のやり取りだけですべてが進んでいく一級のサスペンスだった。では残りの2タイトルは? 邦画実写なのだ。

邦画の実写なんて、正直言って「観るだけ無駄」とさえ思っていた時期がある。実際、日本の興行成績だけをとってみても、邦画実写で100万人動員すらおぼつかない作品がごろごろしていたし、トップ10の大半は邦画アニメか洋画が独占。超大作というキャプションが付いても、ここ最近では「シン・ゴジラ」の82億がようやっとのような気がする(10年代の作品だと、コードブルーが90億台、海猿最終作が80億台。19年の邦画実写トップはキングダムの57億)。

そんな中で当方が見たこの2作品はどちらも負けず劣らずの名作といってはばからない。
ひとつは「羊と鋼の森」だ。ピアノの調律師が一人前になっていく過程を、ピアノ好きの姉妹との絡みとともに見せていくのだが、脇を固める役者たちの演技はなかなかに見ごたえがある。そしてこの作品の愁眉な点は「無言が織りなす芝居の重要性」である。
駆け出しの調律師が向かったのは、引きこもっている青年の家。一人ぼっちで暮らす彼は、招き入れるときも、自室から出ていくときも、そして調律が終わった後ピアノに触れるときも、その結果に満足した表情を浮かべた時も、一切しゃべらないのだ。だが、その音が、今までの彼の栄光や幸せだったころの家庭環境にまで昇華していくのだ。しゃべらなくても成立する芝居。これを見た時鳥肌が立った。
それだけではない。祖母役の吉行和子に、しゃべらせないという芝居まで要求したのだ。この選択には度肝を抜かれる。セリフが言えてナンボであるはずの女優さんが、立ち居振る舞いだけで感情を表現しないといけない。こんなことを言われたのって初めてだろうと思う。だが、それを見事にこなしたことによって印象がガラッと変わる。
もちろん減点箇所がないわけではない。だが、それらがかすんでしまう「無言の芝居」の破壊力。だから満点評価になったのだ。
そしてもう一作品は、「劇場版FF14 光のお父さん」である。
ゲーム派生でそこまでの作劇があるとは思っていなかった意外性の部分は否定できないかもだが、それでも、父と子の関係の再生、父が持っていた生への執着、忘れていた情熱の勃興、忘れていなかった約束など、様々な伏線や語れる要素にきっちりと落とし前をつけつつ、あのセリフで大の大人を泣かしにかかるずるさにしてやられたのだ。
前者が畳みかける攻撃とするなら、後者は、クリティカルヒット・一撃で私の評価レベルを振り切らせてくれたと思っている。

2作品のレビューは、当方のページで探してもらうとして、いまや評価の基準・ベンチマーク的な作品にこの2タイトルがなっていることは間違いないだろう。


2018.12.7 また見られた幸せ 羊と鋼の森 3回目鑑賞記

2016年10月からの映画館がよい。3年目に入っている。
今年のランキング自体は既にまとまっているので、12月に鑑賞した映画のランキング入りはない。だが、もし、「羊と鋼の森」を見ていなかったら、と思うと戦慄に襲われる。

この作品の凄いところは、意外にローアングルが多かったりするカメラワークもそうなのだが、なんといってもセリフなしで、芝居させるという、役者の体からにじみ出てくる機微というものを観客に伝わらせしめるところにある。
何度も書いているので食傷気味だが、あの引きこもりの凄腕ピアニストを訪問するシークエンスがあるからこそ、外村は、調律師で生きていこうと決意できるし、一旦は返して、辞表代わりにした、調律用のハンドルを師匠である板鳥から返されるあのシーンの迫力たるや、ここ最近の日本映画でも屈指の描写力・言い切った感を感じさせてくれる。

登場していながら一切しゃべらなかった吉行和子の演技も傑出ものである。もしこれで日本アカデミーでも取ったりしたら、映画賞史上初めて「セリフなしで受賞」することにもなりかねない。まあそこまで甘くはないだろうが、それでもこのシーンが問うばあちゃんの、外村に対する思いが伝わってくる。

そう考えると、時間いっぱいにしなくてはとばかりに、いらない、優先順位の低い映像が羅列され、ストーリーにも厚みを与えてくれなかった「かぞくいろ」の2時間は、編集というもの、取捨選択の重要性を浮き彫りにしてくれる。個人的にこの作品の比喩表現である、初音の水中でもがくシーンは、唯一ダメ出ししたくなるポイントだったが、それまでに大幅加点してしまっているので、調整的な意味合いにも見て取れる。
とにかく無駄がない。セリフも少ない。音楽(BGM)も効果的、とくれば、減点する箇所がまったくと言っていいほど見つからない。だから、当方の採点で初の100点が出てしまったのである。

持ち上げすぎ?と言われなくもない。だが、山賢人の新たな一面が垣間見られただけで大収穫である。僕は彼には、コミカルな、「いついかなる時も高校生」な呪縛から解き放たれ、正統派俳優として歩んでいってもらいたいのである。そのためのステップになったと思う「羊と鋼の森」。お仕事ムービーとしてもよくできていると思う。こんな心に残る作品ばかりなら、日本映画ももうちょっとはふんばれるだろうに・・・。

2018.6.20 間違いなく「私の一本」になった 羊と鋼の森 2回目鑑賞記

今更だが、当該映画の予告編を張っておく。


このラストの殺し文句をここで再掲させてもらう。

「きっと、あなたの生涯の一本になる」

一度だけ劇場で見た予告編。「君の膵臓を食べたい」の予告編と同様の名作臭をありありと感じさせる。多分だが、「キミスイ」と本映画の予告を作った人、少なくともコピーを考えた人は同一人物ではないか、と思う。それだけ、このコピーは秀逸だし「どれ、そこまで言うなら見てやろうやない」と思わせるのに十分である。

私は、実はこの作品、「君の名は。」三葉役で一気に興行界にその人ありと認められた上白石萌音嬢(劇中では、佐倉和音(かずね)役)の芝居を見たいというのが最大の動機だった。事務所(東宝芸能)の方針か、テレビドラマにはほとんど顔を出さない上白石姉妹。東宝の箱入り娘化させるつもりなのだろうか、今年は「未来のミライ」で妹たる萌歌嬢が吹き替えに挑戦するという。
そんなかなりハードルを上げたコピーの作品がトンデモだったらどうしてくれよう・・・「キミスイ」や「かぞくへ」あたりで邦画の実力やこれまでの認識を改めさせられたから大丈夫だとは思うが…

そして初見で、当方の映画評で初めての100点をたたき出す(ちなみに「君の名は。」は、99点)。いや、もっと上げてもいいくらいだ。それくらいこの映画にはありとあらゆるものが詰まっている。

西宮OS3本目は、この作品にすると当初から決めていた。あの、犯罪者一味の映画には最大箱が充当されているのに最小箱に近い場所があてがわれる。しかし、観客はひきも切らない。レディースデイだったことが奏功して女性陣が次から次に。100人足らずの箱だったが、半数はきっちり座ってくる。

2回目になった当作品だったが、確認するべきところは山ほどあった。特に「本当に吉行和子はしゃべらなかったのか」はかなり衝撃で、「ホンマカイナ」と思っていた部分だったが、食卓のシーン、飛びだした高校時代の外村を迎えに椅子に座っているシーン。この2カ所が生きている出演シーン(あとは死体のシーンだけ)であり本当にセリフは一言もなかった。
はじめての外村の担当。引きこもりの男性宅でのシーンは、彼がピアノ弾き始めたら、今回も感極まってしまう。14年のブランクが、演奏にも表れているちょっとへたくそなタッチであるとかも、しっかり表現できている。そこが本当にすごいのだ。
調律師のストイックさ。それがあの映像だけで伝わってくる。マジで「あなたの、生涯の一本になる」とは思っても見なかった。


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