予告編で「良作臭」を感じ取れた作品を見た時の当方の打率はかなり高いと思っている。「キミスイ」などは浜辺嬢の熱演をあの短い予告編で感じ取れたし、「さよ朝」も、音楽面や岡田氏と言うスタッフ側面がありこそすれ、そこまでの感動作とは、というのが実際である。

そして、5月中旬ころに、一度だけ「羊と鋼の森」の予告編を見る。山賢人に上白石姉妹、三浦友和に鈴木亮平と、そこそこにビッグネームが名を連ねる。ピアノの調律師の話で原作は「本屋大賞」をとっている。「君の名は。」三葉役の上白石萌音嬢が実体で動く初めてのスクリーンでの拝見。そして何よりも、ピアノ関連にあの盲目のピアニスト・辻井伸行氏が関わり、エンディングは久石譲氏(音楽そのものは別人がクレジットされていた)。音楽映画になることは必至だったので、これは、という思いを強くする。

幼少期の思い出話になるのだが、当方の実家には、生まれた時からアップライトピアノが、姉が芸大で音楽を専攻するようになるころには分不相応ながらグランドピアノが一室に鎮座していた。当然、使う使わないにかかわらず調律という作業は必要になってくる。彼らの仕事が正確無比であったかどうかなどは今からでは振り返ることもままならないのだが、そういうわけで、調律師とピアノに青春をささげる姉妹の話は、私にもすんなりと受け入れられる素地があった。

暗い高校生活を終わらせようとした外村の元に現れる、ピアノ調律師の板鳥。彼の仕事ぶりに引かれていく外村。それを仕事にしようと板鳥の経営する楽器店に弟子入り同然で就職する。
彼のトレーナー役になったのは柳という先輩調律師。某大河では南の地で孤軍奮闘頑張っている鈴木亮平だが、この作品自体が北海道・旭川周辺が舞台。もちろん、クランクアップ後に大河に入っているだろうなので、あのような恰幅の良さはこの作品では披露していない。
いくつかの得意先に柳と同行して技や技術を会得していく外村。そんな彼らが訪れたのが佐倉家。ピアノ大好きの姉妹がいる御宅だった。けして美人ではない上白石姉妹だが、ピアノの前に座ると豹変するから面白い。役者であると思い知らされるシーンである。
独り立ちを勧められ最初に訪れた御宅は、引きこもりの男性がいる家。だが、この作品の最大の鑑賞ポイントを持ってくる。
そう。外村が言う営業セリフ以外、何も言葉が紡がれないのだ。あるのは、調律の終わったピアノを弾く男性の生き生きとした表情だけ。ピアノの間から出てきた、その男性の幼少期のトロフィーを持った写真で「そこそこの腕の持ち主」だとわかり、それでも14年間ピアノに触っていないことを調律記録から探り、影をまといほこりまみれだったアップライトを光り輝く仕上げで男性を迎え入れるシーン。まさに映像表現だけでこの間の男性の今まで(両親がどうして亡くなったのかの言及はないが)を想起させて見せたのである。
子ども時代の男性がピアノを弾くシーン。私は思わずスクリーンを指さす。こんな演出を持ってこられたら、私はどうすればいいのか…グジョグジョではないものの、あまりの出来事にじわわっと出てくる涙を止めることができなかった。そしてその瞬間、外村はこの仕事の重要性を悟ったのだと思った。
あらすじばかり書くと鑑賞の妨げになるのでここらで止めておくが、まずこの中盤のシーンは一つの山であり、感動もできるシーンであるとだけ言っておく。

それから佐倉姉妹の異変や、それに伴う自信喪失、祖母の死、職場への復帰や柳の結婚など、外村を取り巻く環境が矢継ぎ早に変わっていく。
最後は二次会パーティーのピアノはどうあるべきか、を外村が自分で答えを見つけ出し、「一人前」になれたと周囲らに納得させ、コンサートチューナーを目指すと言うところで終幕となる。

先に得点を発表する。見事100点である。
正直言って、途中に貼られた伏線が回収される最終盤。それだけでもうお腹いっぱい。「リズ」「さよ朝」などと同様に、ピアノのソロだけで感動のあまり泣いてしまうほどの出来だった。
何より、セリフの無い芝居の多いこと。ドイツ人のコンサートチューナーを終える板鳥の元に現れる外村。辞めるといって飛び出した際においていったハンドルを板鳥からつき出され、それを受け取る。去り際の板鳥も、ハンドルを抱える外村も、一切言葉を発しない。このシークエンス自体がほとんどセリフがないのだが、それだけですべてが伝わるのだ。
ああ、なんという「無言の重さ」よ。その最たるものは、外村の祖母役として出演していた吉行和子である。今までの映画で、出演したらなにがしかのセリフがあるのが当たり前の興行界にあって、吉行クラスに「一言もしゃべらせない」という大胆にもほどがある演出をやってのけたのである。これには度肝を抜かれた。
もちろん、先述したように「無言の重さ」…多くを語らずとも、外村を見守っている、唯一の理解者という書かれ方も納得がいくし、そこでの語りが余計なドラマを生み出しかねない。映像を見せることに傾注した監督の思いがひしひしと伝わってくる。

調律という仕事のストイックさ。それが伝わるからこそ、この映画は見てよかったといえるし、かなりの衝撃を持って迎えられた。興行という面で言えば、4日目/夕方回であるにもかかわらず、10名足らずというびっくりするほどの入りの悪さ。多分に犯罪者一家(血がつながっていないから連中でいいか…)を描いた映画にすべてを持っていかれているのだろうと思うが、この映画に悪人はだれ一人登場していない。こんな芸術的な作品があまりに入っていないのは「きみの声をとどけたい」がさっぱりなままで埋もれてしまったのに等しい。

なので、ぜひとも見ていただきたいのである。この作品の肝、というものは、あちこちにちりばめてある。それを探るべく、もう一回くらいは動員を積んでみたいとさえ思っている。