多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

考察

「きみと、波にのれたら」考察◆々眈芦瓩た脚本とイチャラブの落差

名手・吉田玲子をもってしても、ここまでの恋愛ラブストーリーなのにきっちりと昇華できない不満の残るレビューが散見される。
ちなみにYahoo!映画での、現在のレビューポイントは3.39(2019.6.26現在)。カルト的なファンの多い「ガルパン」を除くと、前作は「若おかみは小学生!」になるのだが、同ポイントは4.34!! 「リズと青い鳥」は3.84だが、それでも平均より大幅に上だ。

この考察が終わったら、「比較検討倶楽部」を久しぶりに発動させるつもりなのだが、本当にこの作品がもったいないなあ、と思うのが、前半部分が一般の方には伝わらなかった、「あまりに普通のラブラブデートムービー」に映ってしまい、その後の港の死が予定調和に感じられてしまったところにあると思っている。

すでに私はラストで見せたひな子の大泣きのシーンの意味を看破できている。
港の死後一年。生きていた時の想い出や、死んでからも「ひな子を助ける」といわんばかりに水中に現れる港への想いは、いかばかりだったかと思うのだ。「どんな形でもいい、港と会えるならそれが実体がなくても……」。しかし、それはかなわぬことであり、ずっと引きずっているのと同じである。
それを断ち切るべく、現実に引き戻されるひな子。あのDJの読んだメッセージは、永遠を謳っていながら『最後』のメッセージになっているのだ。そしてひな子はそこに気が付く。だから大泣きしてしまうのだ。

「若おかみ」のおっこは、自分の進むべき道が決まった時、べそはかいたが、しっかりと受け答えしている。それは自分の中で矜持が決まったから。だが、ひな子の場合、まだ駆け出しの、誰も助けたことのないライフセーバー。道の端緒に立っただけ。「港と一緒にこの道を進めたら」。喪失したものしか味わえないその想いがビシビシ伝わるのだ。

実際、私は、この前半部分のイチャラブ部分は正直「なんでここまで丁寧に描いたんだろう」と初見の段階で深読みしていた。だって、その必要ははっきり言ってないからである。尺の上なら、例えば、写真に切り取る、とか、矢継ぎ早に季節を進めるとか、いろいろやり方もあったはずである。時間をかけ、挙句二人でアカペラ同然で主題歌まで歌わせる。ドン引きする層のことに思いが至らなかったのは、そもそも湯浅監督が恋愛を描くのがほぼ初めてだからといえなくもない。そしてその要求に脚本家は普通に応じただけなのだと思う。

だが、あそこまで丁寧に描いたことが、二人の分かちがたい絆……某大ヒット映画で言うところの「ムスビ」につながっているとするなら、ラストの大泣きの意味はいやが上にでも高まる。伏線はソレほどうまく回収できたわけではない(ケータイロック解除の暗証番号はひねりすぎ)けれど、ラスト前、全てがピタピタ収まる快感はなかなか面白かったりする。

いつものことながら、噛めば噛むほど味の出てくる脚本なのだが、一般人にはなかなか受け入れられないところだろう。それでも、当方が見た中で、ベスト5に入る吉田脚本作品であることは間違いない。

「きみと、波にのれたら」考察 ‖腓く裏切った予告

私の「きみと、波にのれたら」(以後きみ波)の、予告編を見た段階でのストーリー想定はこんなものだった。

 消防士の港はサーフィンの名手。火事の現場で、ボードを抱えているひな子と劇的な出会いをする。
 それまで女っ気のなかった港に初めての彼女。だが、サーフィン中の不慮の事故で彼は死んでしまう。
 それを嘆き悲しむひな子。だが、歌えば彼は水中の中でではあるけれど、ひな子には実体が見える
 レベルの出会いができるようになる。そして夜空の中のビックウェーブを乗ることで彼との別れが
 告げられる。乗り切れるのか、この大波に……


実際に見た結果と相違したところはこんなところである。
々舛魯機璽侫ン初心者である
最初の二人が歌い出すシーンで幕開ける予告編。ロングボードを持つ港の方が上級者に見えたのは、実は偽らざる事実である。ところが実際の映画では、ひな子に触発される形でサーフィンを始めたことになっている。
開始早々ひな子のことを港は知っていた
「僕のヒーローだ」と言い出す港。この時点で、彼にとってのひな子の存在がどんなものなのかがわかればそれでよかったのかもしれない。つまり、火事現場での出会いが最初の出会いではなかったということを示している。
死亡原因は実は救命活動に伴う溺死
クリスマスの夜、彼は溺れた人を助けようとして自分が死んでしまうという結末を招く。サーフィンの名手だからそんなことはないと思っていたのだが、最初から見ていればこの結末は想定できた。
っ欧悲しむシーンは死を悼むものではなかった
居なくなって一年経った後にひな子は噴水で突っ伏して泣くシーンを提示する。予告では、港の死の直後に死を嘆き悲しむ風な順序にしてあり、実際彼女は死を認識してから泣いているシーンはほぼない。
ヌ覿のビッグウェーブは、超常現象によるもの
私は、海での最後の大波に乗ることでひな子は自立し、港との別れを選択するのでは、と思っていた。ところが、この大波、ファンタジックなありえない水の塊によるものであり、かなり高い位置からの波乗りになっている。
実は、ラストの大波が別れの合図になっているところは合致した。
「ゴースト ニューヨークの幻」で見せたような、魂の離脱→天に上るという経緯は、別の交通事故で表現済み。そこをラストに向けたスペクタクルな映像に合わせて、昇天させるという粋な演出。

所詮予告は予告である。ストーリーはそれほどないと思っていた部分もあったのだが、ここまで深く掘り下げていたのである。
時系列で言うとこんな感じになる。
・雛罌粟 港
幼少期に溺れて意識不明に。その時、すでにサーファーの片りんを見せていたひな子に助けられる。
「人に助けられた」ことがきっかけで、人を助ける消防士になる。ひな子が成長し、生まれ故郷に帰ってきたことを知り、「一生守っていく」ことを決める。
・向水 ひな子
「町のヒーロー」と持ち上げられた幼少期の人命救助は、自分としてはそれほど偉業を達したとは思えていない。大人に近づくにつれて、自分が何者であるかに自信が持てなくなる。だが、港(多分、助けた相手と初手では気が付いていない)と会い、彼の「ずっと助ける」という言葉に救われる。恋が絶好調に差し掛かった時の彼の喪失は、完全に自己を見失う。だが、港の本当の気持ちを知って「私も人の役に立ちたい」と思い、ライフセーバーを目指す。

この落ちまでが導出できるわけがない。特に港と本当のお別れをした後はどういう展開にするのか、は非常に重要だった。
だからこそ、「自分も人の役に立ちたい」と思うことで自分の立ち位置を見つけたひな子の成長物語とも受け取れるのである。



 

考察「君の名は。」(10・終) 「こんな力」の凄さ

「なぜ、「君の名は。」はヒットしたのか?」「「君の名は。」を深掘る」・・・

当方は今まで、このアニメーション映画に関して、実に記事数にして80以上も上梓してきた。→現在下書きになっている、旧来の記事だけで20枚強。映画鑑賞記も毎回上梓してきているので、全体で言えば100越えは確実。

2016.10.1の初見の段階で、複数回視聴には確信はあったものの、二桁鑑賞は当然想定外。その過程で、書きたくてしょうがない、解析魂に火がついてしまった。
「あれはどうして」「これが気になる」…そのたびごとにスクリーンに座った7か月間だといっても過言ではない。

そして20回目を数え始めた段階で、当方は、とうとうこの作品の「本当の姿」を目の当たりにする。

    「忘れる」ことの尊さ

人間の記憶は本当にいい加減だ。
川村氏も小説の解説でこう書いている。
  「ひとは大切なことを忘れていく。けれども、そこに抗おうともがくことで生を獲得するのだ」(p.262)。
あの場面の二人。思い出せない/忘れたのではない。完全に消されてしまった記憶。「お前は誰だ」の言葉が持つ重さに押しつぶされそうになる。
私がどぎついリピーターになってしまったのも、このことが大きく起因しているのではないかと思う。「大事な人、忘れたくない人、忘れちゃだめな人」をついぞ作れなかった。名前と顔が一致するほどに思いを寄せた人も片手では足りないが、そのほとんどの残像は消えかかっている。
「会えば絶対、すぐに分かる」・・・。彼らの恋愛感情は、もはや名前を必要としないまでに昇華していたのだった。名前を知らなくても、二人の間の「ムスビ」は、「捻れて絡まって、時には戻って、またつながる」組紐のごときものだったのだ。

二人は、コンクリートジャングルをあてどもなくさまよう。1000万都市・東京で、二人は別々の駅に降り立ち、待ち合わせしたわけでもないのに、須賀神社の階段で出会う。「そんなやつおれへんやろぅ」と言いたくなるが、彼らにとって「再会する」という選択肢はそれがいかに無理筋であっても避けられないムスビそのものである。歌詞も言っているではないか(当方号泣中)。

 離したりしないよ 二度と離しはしないよ、やっとこの手が 君に追いついたんだよ

彼らの恋愛観は、正直すべてを映像に盛り込んではいない。わかりやすく表現せず、見る人に『忖度させる』ことで奥行きを感じさせる方向にした。これこそがこの作品が、多くの人々の共感を呼んだポイントだと思っている。何でもかんでもわかりやすく書くことは、通り一遍の評価/金太郎あめ的均一性しか生まない。人によって感涙ポイントがさまざまであるからこそ、観客が呼べたのである。

「映画にはまだ、こんな力があるんだと教えられました」。
この「こんな力」こそ、観た人すべてがこの作品に描かれていない彼らを想い、育て、応援し、彼らの動向が気になって仕方ない状況を作り出した力といえなくもない。実際、ここにそんな人が一人いるww
もうこの作品を越えうるような作品が出てくるとは到底思えない。仮に作られるとしても、それができるのは、新海氏ただ一人だと断言できる。
スクリーンではほぼ死滅状態。だが、「いつか消えてなくなる」のもムスビ。その日を粛々と迎えたい心境である。



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