多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

訃報

やるせない、土曜の夜。

想定はしていたが、やはり事実を知ると暗澹たる気持ちにさせられる。そんなDMがフォロワーから流れてきた。
当方がまさにtwitterでのリアル交友の先駆けを果たした、一人のフォロワーさんの死去の報に触れたからである。
訃報としての第一次情報。

死去した日時や死因等は明らかになっていないが、ともかく驚いている、というのが第一義的にあるとはいえ、「そりゃそうだろうね」と思わずにはいられない部分もあったりする。
何しろ、かなり重度なSNS依存症的な人であったし、どこに行くのでもねんどろいど三葉を携えるというありさま(パルシネマしんこうえん近くの洋食店で、あれを出された時にはさすがにドン引きしてしまった/梅田の鑑賞回直後の飲み会でも同様の人がいたのがすごかったのを思い出す)。であるがゆえに「つぶやかない」ということが正直信じられないままに沖縄での一緒の旅行を済ませて最終日に別れたものである。

そう。それが今生の別れになるとは思いもよらなかったのである。
もちろん予兆はあった。二日目、一緒に出掛けられないという部分で異変を感じ取っておくべきだったのかもしれない。だが、一日休養してからのステーキ店での食欲も悪くは見せず、むしろ体調は戻ってきたのかな、と思わずにはいられなかった。

もともと彼自身は、何らかの病状を持っていたのではないか、と思っていたりしていた。ずんぐりむっくりの体形で、足は若干不自由。すべてにおいて大儀そうに思える状態だった。とはいえ、失礼になるからと思い、そう言った内面的なところには首を突っ込まないできていた(そもそも、私は彼の本名を知らない!!)。

しかし、彼の「君縄」愛、「新海誠」愛は、ツイッター界隈でも群を抜いている。中でも傑出なのは、彼の描く小説の数々がすこぶる面白いことである。
→たとえばこれ
当方も狂ったように君縄SSを投稿してきているのだが、彼の筆致/用語使い/感情表現には敵わない。文才の差をまざまざと見せつけられる始末である。
一番わかるのは、ワンドロである。
最終投稿と思われる作品がこちら
「ワンドロ」とは、お題発表後、1時間で絵なり小説なりを書かないといけないという縛りの元に計画されているもの。君縄の絵師/物語師が腕によりかけて挑む時間帯である。これを一時間程度で書いてしまうのである。びっくりするしかない。

君の名は。 クラスタの中でも群を抜いた知名度のあった氏。訃報ツイートはその界隈にも衝撃を持って迎えられた。なにしろ新海誠展は、最後になってしまった沖縄を含めて皆勤賞。当然名古屋のラスト回にもご出馬されるものと思っていた。つぶやきが無くなり、本人の死が確認される現象は、実はこれが初めて。改めて「生存確認手段」としてのツイッターの役割を見せつけられた次第である。
私と同い年かちょっと上くらい。それでも死ぬときは死ぬのだな、と思わずにはいられない。はあ。少し飲みつけない酒でも飲んで、故人を偲ぶとしますか…

この訃報は正直きつい…

人の生死は、本当に避けて通れない。
そして、その死があまりにあっけないもの…予告なしの交通事故死なら、なおさらである。

一本の訃報記事で、思わず目を疑った。
それがこちら。突然のリンク切れもありますのでご了承を・・・

当方がテント氏を知るきっかけになったのは、それこそ『ツチノコ』のように神出鬼没で、なんかのテレビ番組だったと思う。その芸風は、一言で言えば自己陶酔型。周りの反応や、評価というものには一切見向きもしない。かたくななまでの、一種ストイックとまで言える一貫性を貫いていた。

動画もいろいろ残っているが、ネタもやっているこれをチョイス。


鬼才・上岡龍太郎をして、「出てくるのが10年早かった」とその芸を絶賛するほどの才能の持ち主。ピン芸人ながら、レギュラー取りやあくせくとした営業回りを好まなかったことも、幻/突然現れるツチノコ芸人と呼ばれている所以でもある。

65歳の生涯。自由気ままに、大した功績も残していないという面では、ほかのそこらへんにいる芸人とは変わらない。だが、あまりのインパクトの強さに度肝を抜かれる人も大勢いることだろう。老獪な境地に至った時の芸もみたかったが、それはかなわぬ夢となった。本当に"惜しい"人を亡くしたものである。合掌。

死して名を残す声優がどれほどいるのか…

これまで、当方も、幾人の訃報に接し、そのたびに色々とコメントをこのブログでしたためてきている。

人の死ははっきり言って避けられないし、一寸先は闇、である。これまで著名と言われる声優氏の死去のニュースに接してきたのだが、基本、主役を張ってきた富山敬氏や山田康雄氏、内海賢二氏や永井一郎氏と言った脇役主体の人であっても「ああ、あの人を当ててた人じゃん」となって、一気に喪失感が充満することなってしまう。

そんな中にあって、また一人、名脇役でもあり、一度聴いたら忘れられない、特徴ある声の持ち主が、一人、鬼籍に入ってしまわれた。

ドラえもんシリーズのジャイアンと言えば、あの世界観の中では、ガキ大将、暴れん坊として書かれる半面、親に対しては一転、従順で、叱られると青菜に塩のごとくになってしまうという、いまどきの子供にはないキャラクターである(昭和40年代には、こういう、粋がった「ガキ」と言ってもいい子どもはそこらじゅうにいた。それがヤンキーの源流であり、更生しなかったものが暴走族や今でいう半グレ→暴力団に進化していく)。
そのジャイアンの、暴君ぶりをこれでもかと体現し、ストーリーを盛り立ててきた、声優・たてかべ和也氏が80歳の天寿を全うされたのである。

もちろん、今現在、すべてのキャストが大転換されており、サザエさんの波平役・永井一郎氏のように、旅先で急死→差し替え間に合わずしばらく放送→ようやく代役選定 というあわただしさはなく、これからも、放送自体は何事もなく続いていくことだろう。
しかし、長年培ってきた「看板」をかけ替えることに当時は猛反発もあった。ただ、全体的に「寂寥感」はあったものの、担当していた声優諸氏には、「やりきった感」は感じられる最後のインタビュー映像がYoutubeにアップされていた。→こちら(元画像がもう一つですが勘弁)


残念なことに、画像で初めて顔を見て「この声の人ってこんな顔だったんだ」となってしまうのが声優の悲しい性。今でこそ、やれCDだ、コンサートだ、はたまた映画やドラマだと、顔バレできてナンボの商売になりつつあるわけだが、著名声優ほど、顔出しで出演することは今まで避けられてきていた。むしろ「声がパスポート」であるかのように。
彼の功績は、ジャイアンばかりではない。昭和を代表するいろいろなアニメーションに精力的に参加。ど根性ガエルのゴリライモ、ヤッターマンのトンズラーなど「ああ、あの人」と想いを新たにした人も多かろう。

虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。主役級でなくても、死去したときに、名前が出てくるのが芸能人。しかし、今の声優業界では、「芸能人/声優です」と胸を張れる人はいったいどのくらいいるのだろう。ブームに踊らされ、特徴のなさ過ぎる声ばかりで、誰がやってもさほど変わらなくなってきている配役に、たてかべ氏レベルの、印象付けさえできていない状況で、「○○さん、死去」とニュースにしてもらえるのかどうか…。今の声優に求められているのは、没個性ではなく、とんがった、特徴ある唯一無二の特性なのではないか、と思わずにはいられない。

彼を偲んで、やはりこれでお送りしたいと思う。合掌。
月別アーカイブ
livedoor 天気
「livedoor 天気」は提供を終了しました。
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード
「Amazonライブリンク」は提供を終了しました。
  • ライブドアブログ