「この人が出ていたら鑑賞」「予告で鑑賞確定」。リソースが限られる映画鑑賞という趣味を行うにあたって、取捨選択を行わねばならない局面に立ち入った時、私は基本的に座組と主演をメインに考えることにしている。特に邦画の場合、「彼が演じるなら大丈夫」「監督さんが彼なら間違いない」というところをメインにしている。
今回、本作を見ようと思った最大要因は、「川村元気」という一個人に集約される。直近では、新海誠を見出し、きっちりプロデュース。おそらく最大ヒットとなるであろう「君の名は。」上梓の立役者の一翼を担っているのは疑いようもない。
そして制作会社「Story」も立ち上げる。今回もここが絡んでくるのか、と思ったら、金は出していないようである。そして主演が菅田将暉。外さない、いや、外せない座組だ。
なのに……
得点は82点。70点台にしても何ら不都合はないほどの凡なる作品にとどまってしまった。
その大多数を占めるのが、カメラワークである。とにかく、ワンカットが多いのだ。確かにここ最近の主流になりつつある、ワンシーンを長回しで撮ることで、予算を低減させる手法は、決して悪いとは思わないのだが、最初から最後まで、この手法を取られると、中だるみしてしまうのだ。
役者サイドとしてもつらかっただろうと思う。何しろ、ワンシーンどこかで躓いたり、噛んだりしたら、また最初からやり直しだからだ。とはいえ、冒頭の、認知症が進んでいく百合子の描写のシーンでは、確実にカットを切ってでないと表現できないところでもあるし、2階の自室に向かうシーンがループするところも、恐らく階数表記を何枚か用意して(あるいは加工して)撮影に臨んでいるとわかるだけに、奇妙な感覚だけが目についてしまう。
若年性アルツハイマーに至った母に、息子はどう対峙するのか、ということが主題だったのだが、ここにいろいろな雑音が入ってくる。父親は蒸発か、離婚して主人公の泉生誕の際にはおらず、しかも、阪神・淡路大震災発生時には生まれてもいないのに名付けていない子の名前を叫んだりしている。そして、寂しさを紛らわすために、泉を置いて男のところに転がり込んで育児放棄していたという過去もある。
人に歴史あり、なのはよくわかったけれど、全てを網羅しようとすることで散漫になってしまうのだ。震災からの20数年間の変遷はほったらかしにして、突然ボケる。前提条件があまりに突飛すぎるのだ。
後に結婚する(正確にはできちゃった婚)香織と、泉の関係も希薄なんてものでは済まされない。職場結婚であることは北村有起哉を登場させるためだけの会議シーンでわかるのだが、父に捨てられた自分が父親になることに対する違和感を吐露するシーンくらいにしか結びつきようがない。
否定論ばかりになってしまっているが、94年当時の風俗や、95.1.17の描写と震災直後の町の破壊度合いなどはよく描けていると思った。当時百合子と洋平の住んでいたあたりは、東灘区の阪神住吉駅近辺(百合子が各停に乗り込むのは間違いなく住吉駅)。破壊の度合いがどの程度だったのか、はよくわからないし、震災を乗り越えた現存する建物で撮ったとしないとあの昭和の雰囲気漂うベランダとかが表現しようがない。時間が許せば、阪神沿線で探してみたいとも思う。
「そして、愛が残る」がキャッチだった。でも、結局、幼少期から振り回されっぱなしの菅田将暉演じる泉が不憫に思えてしまう内容だった。「半分の花火」も、湖面で爆発させる半分ではなく、マンションによって視界を遮られるから半分しか見えないということになんで最初っから気が付かなかったのか、という部分はオチを知ってしまうと、一気にがっかり度が襲ってくる(だいたい、湖に行って、それを見たわけでもないのに、どうして半分の花火が見たいと言い出したのか、という解析をしないのか?) 。
「音楽隊!」はまだ阿部寛の演技で持たせられたが、そこまでではない菅田君では、ちょっと物足りなかった。原田美枝子の化けっぷりは、さすがと言いたいところだが、ボケていない時に大概だったところが感情移入を妨げてくれる。北村有起哉も、重要脇かと思いきや、あんな出方で演技の必要もないのでは、別の端役相当の方で十分だったのに、と思わざるを得ない。
Yahoo!の星もたいがいだが、そりゃそうなるわな、と感じる。名プロデュ―サー、必ずしも名脚本家、名監督になるわけではない、と改めて思った次第である。
今回、本作を見ようと思った最大要因は、「川村元気」という一個人に集約される。直近では、新海誠を見出し、きっちりプロデュース。おそらく最大ヒットとなるであろう「君の名は。」上梓の立役者の一翼を担っているのは疑いようもない。
そして制作会社「Story」も立ち上げる。今回もここが絡んでくるのか、と思ったら、金は出していないようである。そして主演が菅田将暉。外さない、いや、外せない座組だ。
なのに……
得点は82点。70点台にしても何ら不都合はないほどの凡なる作品にとどまってしまった。
その大多数を占めるのが、カメラワークである。とにかく、ワンカットが多いのだ。確かにここ最近の主流になりつつある、ワンシーンを長回しで撮ることで、予算を低減させる手法は、決して悪いとは思わないのだが、最初から最後まで、この手法を取られると、中だるみしてしまうのだ。
役者サイドとしてもつらかっただろうと思う。何しろ、ワンシーンどこかで躓いたり、噛んだりしたら、また最初からやり直しだからだ。とはいえ、冒頭の、認知症が進んでいく百合子の描写のシーンでは、確実にカットを切ってでないと表現できないところでもあるし、2階の自室に向かうシーンがループするところも、恐らく階数表記を何枚か用意して(あるいは加工して)撮影に臨んでいるとわかるだけに、奇妙な感覚だけが目についてしまう。
若年性アルツハイマーに至った母に、息子はどう対峙するのか、ということが主題だったのだが、ここにいろいろな雑音が入ってくる。父親は蒸発か、離婚して主人公の泉生誕の際にはおらず、しかも、阪神・淡路大震災発生時には生まれてもいないのに名付けていない子の名前を叫んだりしている。そして、寂しさを紛らわすために、泉を置いて男のところに転がり込んで育児放棄していたという過去もある。
人に歴史あり、なのはよくわかったけれど、全てを網羅しようとすることで散漫になってしまうのだ。震災からの20数年間の変遷はほったらかしにして、突然ボケる。前提条件があまりに突飛すぎるのだ。
後に結婚する(正確にはできちゃった婚)香織と、泉の関係も希薄なんてものでは済まされない。職場結婚であることは北村有起哉を登場させるためだけの会議シーンでわかるのだが、父に捨てられた自分が父親になることに対する違和感を吐露するシーンくらいにしか結びつきようがない。
否定論ばかりになってしまっているが、94年当時の風俗や、95.1.17の描写と震災直後の町の破壊度合いなどはよく描けていると思った。当時百合子と洋平の住んでいたあたりは、東灘区の阪神住吉駅近辺(百合子が各停に乗り込むのは間違いなく住吉駅)。破壊の度合いがどの程度だったのか、はよくわからないし、震災を乗り越えた現存する建物で撮ったとしないとあの昭和の雰囲気漂うベランダとかが表現しようがない。時間が許せば、阪神沿線で探してみたいとも思う。
「そして、愛が残る」がキャッチだった。でも、結局、幼少期から振り回されっぱなしの菅田将暉演じる泉が不憫に思えてしまう内容だった。「半分の花火」も、湖面で爆発させる半分ではなく、マンションによって視界を遮られるから半分しか見えないということになんで最初っから気が付かなかったのか、という部分はオチを知ってしまうと、一気にがっかり度が襲ってくる(だいたい、湖に行って、それを見たわけでもないのに、どうして半分の花火が見たいと言い出したのか、という解析をしないのか?) 。
「音楽隊!」はまだ阿部寛の演技で持たせられたが、そこまでではない菅田君では、ちょっと物足りなかった。原田美枝子の化けっぷりは、さすがと言いたいところだが、ボケていない時に大概だったところが感情移入を妨げてくれる。北村有起哉も、重要脇かと思いきや、あんな出方で演技の必要もないのでは、別の端役相当の方で十分だったのに、と思わざるを得ない。
Yahoo!の星もたいがいだが、そりゃそうなるわな、と感じる。名プロデュ―サー、必ずしも名脚本家、名監督になるわけではない、と改めて思った次第である。