多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

2013年10月4日

「君の名は。」を深掘る(20・終) 三葉の生死を深掘る

いよいよ、深掘るのもこれで最後にしたい。
最後にふさわしい題材を探すのに苦労したが、本当にこれこそ、私のこの映画解析の集大成となる事柄を見つけた。
とは言うものの、なかなかに結論がでない/当然異論は噴出することは百も承知だ。
だが、どの時点に基軸を置くか、に集中すれば、限りなく正解に近づくのではないか、とおもっている。

それでは題材の発表だ。
お題:三葉は、本当に一度「死んだ」のか?

映画のオープニング。「あの日、星が降った日」の時の三葉は、浴衣姿であり、イコール死に直面する時間帯にいる。
もちろん、あのまま破片の落下になすすべなくあの衝撃波に蹂躙されているだろうことも察しがつく。新聞の記事、犠牲者名簿…。客観的事実は曲げようがない。
だが、結果として三葉をはじめ、町からは死者は出ず、2022年の春に再会(正確にはお互い会ったことも記憶にないのに、お互いを求めあっていた)する。

仮説:
当方は、彼女の死はなかったものと考えている。
ただ、瀧と会っていた(それも2016年版)ことと、お互い入れ替わったことの記憶はほぼなく、初恋の相手がたまたま東京にいた、というレベルの出逢いとみている。

さあ、大変だ。
オープニングの映像を否定するような仮説。いまから読み下そうとしている諸兄も、ドキドキしているのではないだろうか。

では、仮説を証明すべくいろいろな事項を紐解いてみよう。
・オープニングのセリフを解析する
瀧「あの日、星が降った日。それはまるで」
三葉「まるで、夢の景色のように ただひたすらに」
瀧・三葉「美しい眺めだった」

なんで「夢の景色のように」って彼女が言うのか…オープニング自体に意味がある、と提示しているのはおそらく当方以外にいないだろうと思っているのだが、それはそれ自体が夢。現実とは異なっているから、と考えるのはちょっと飛躍しすぎか?

・第一の2013.10.4 が、「夢の中の出来事」と見れないか?
ムフフ。私は、既にそうではないか、と考えている。→三葉の瞳に映る物体の差異に気が付けば、この結論を導出することは可能だ。  
トドメは「あんた今、夢を見とるな」
・歴史が確定した後半の描写が「正」とするなら、前半部分が「虚」となってしまう。
これは、彼女が生きている、少なくとも死んでいないという援護にもなる。すべてが間違っている可能性があるのならば、そもそも死に直面していないと考えるのが妥当。
・我々は「彼女の死」を目撃してはいない
確かに町民の1/3が死亡し、名簿にも載っている。だが、文字情報だけでしか提示されていない。さらに言うなら、割れている彗星を確認したのは落下の1時間ほど前。そのあと確かに画面は暗転し彼女に何かが起こったことを暗示はさせるが、それ以上の情報は提示されていない。
そして、その文字情報ですら「夢を見とるな」で囲まれた中の事象。

「そうは言っても…」
仮説に反証も挙げられよう。
・隕石落下は避けられず、第一の時間軸上では、回避のすべがないので死亡しているのは確実
映像上では、広場的な場所で彗星ショーに見入る3人組が描かれている。だが、彗星が割れて赤く光る隕石がこちらに向かってくることを三葉の瞳がものがたる。
当時のニュース映像からでも「隕石の軌道予測は不可能」とされており、当然糸守に降ってくることも想定できていなかったはずである。
つまり最初に図書館で見た資料そのものも「正」であり、歴史が改変した、町民全員生存が「新たな正」であるというのが大半の人の考えるところだろうと思う。
・「私、あの時…死んだの?」
口噛み酒トリップの記憶が三葉の中に取り入れられる。もちろん、それは、赤い破片ではなく、彗星本体が落ちてくるかのような事象として描かれているものだ。彼女はそれを見て、自分は死んだと思っている。
そして重要なのは「(2016/2013).10.22時点で三葉はこの世に存在していない」、しかも即死に近い状況で死に至っているので、当時の状況を記憶していないから、あのような表現になっているとも受け取れる。

だが、この物語の構成を思い出すと、当方の仮説はがぜん現実味を帯びてくる。
オープニングは…「朝、目が覚めると、なぜか泣いている」という大人三葉のセリフで幕を開ける。
そして我々はこのわずかな、「夢灯籠」が流れる前段階で、この作品が、第一の時間軸を否定していることに気が付く。
大人三葉はこういう。
「そういう気持ちに憑りつかれたのは、多分、あの日から」
"5次元"という表現があっているかどうかは別にして、まったく同い年の瀧と三葉が邂逅した2013年10月4日を彼女は思い出しているということである。もし仮に隕石落下を目の当たりにし、死んでいるはずの彼女が「そういう気持ち」=「ずっと何かを、誰かを探している」(瀧のセリフ)に憑りつかれるはずがない。瀧に会えていない時間軸は、彼女の記憶の中に存在していないと考えると、
・第一の時間軸上で描かれる2013年10月4日は、全て、何もかも、間違っている
・仮に映像の状況が現れたとするならば、それは「夢の中の出来事」で、現実ではない
と解釈することも「可能」である。

そもそも私は「歴史改変」「死者の生き返り」という観点でこのストーリーを見たくない。誰かのようにいくつもの時間軸が存在し、それを行き来しているように描くことはおそらく原作者の意図したものではないと感じているからである。
だから、2013年10月4日は「2016年10月22日の瀧」の入った三葉が町を救う、というのが「最も正しい」歴史であり、これ以外の正解は考えられない。三葉自身が彗星の直撃を受けないで、(けがはしていたとしても)生存できる時間軸こそが唯一の時間軸なのだ。

解析結果:
三葉が遭遇した『隕石落下』のシーンは、彼女を死に至らしめたものではなく、「事実」としての隕石落下の表現で留まっている。彼女が死んだこと/直撃を受けたことすべてが事実と異なる描写であり、それは夢の中の一コマ、とも解釈できる。
本来の2013年10月4日は、未来の瀧が入り、災害を回避する動きを三葉をはじめとする仲間が演じるのが正解であり、その過程で瀧と三葉がお互いの一致を見せるための別次元の2013.10.4で邂逅し、お互いをとりもどし、記憶を失いながらお互いの人生を歩んでいく、というストーリーにしてあるとみる。
よって、三葉は、死に直面していないし、死んでもいない。口噛み酒トリップ上の記憶は完全に間違っているし、浴衣姿で見た隕石も「夢の中の出来事」と解釈できる。







「君の名は。」を深掘る (15)三葉の目が映し出した矛盾

2013年10月4日 午後8時42分。

阪神淡路大震災の発災時刻も当方は覚えてしまっているわけだが、この日付・時間も当方が生きている間忘れることは無いと断言できる。
飛騨地方の山間の集落・糸守町にティアマト彗星の破片が隕石となって落下し、町の大半が破壊されるという前代未聞の大災害。死者を出さずに済んだことが功績とされた出来事だった。

「君の名は。」における、この隕石落下のイベントは、歴史的事実として存在したままにしてある。実際、歴史が変わる前に見ていた(飛騨探訪時の資料一式)文献は、事故が起こったことをありのままに伝えている。
もちろん、町民の1/3が死ぬということを提示していたわけだが、最終的に彼らは死なないことになる。

とはいえ、どこかに齟齬があるのではないか…ちゃんとした歴史の事実はどこにあるのか…
そこにたどり着くときに、ひとつの描写が気になった。
2013年10月4日の「彗星が落下する直前」の三葉の瞳である。

仲良し2人組と天体ショーを見入っているときには、彗星が二つに割れていることを認めてはいるものの、それがよもや自分の近傍に落ちることなど想定もしないままでいる三葉が描かれている。そして、そこには、二つに割れた彗星の残像がくっきりと残っている。しかも、彗星が割れてから落下を示す暗転までの画面上の時間はほぼ10秒程度。だが、その時点では、落下に必要な時間はたっぷり残されている。
彗星が二つに割れた時間は、落下のほぼ1時間ほど前。ニュース映像では、19:50には割れていることが明らかになっている。
そして口噛み酒トリップ中の三葉の最後を示すシーン。これは実に興味深い。破片は一つではなかったのだ。町のあちこちに落ちていく破片たち。三葉の目の前には、まるで本体である彗星が落ちてくるかのような迫力で迫ってくるのである。神社付近(もしかすると宮水家近傍ではないか)が本来の落下地点であるのに原っぱにいる三葉の真上にやってくる・それも比較的ゆっくりのスピードで迫り来る、という表現がふさわしい。

うはっっっっ
二つも描写されているのだ。一つの物理現象であるのに・・・
特に三葉の真上に落下してくるように書かれている隕石の正体は、彗星本体ではないか、とさえ思う。おかしい。

仮説:
生き残る時間軸も、いったん死に至る時間軸でも、彗星の破片は「赤く」描かれている。赤くない破片の描写はこのストーリー上間違っている。つまり、口噛み酒トリップで紡がれた三葉の記憶=彼女が死に至る過程で本来とは違う歴史が刻まれている。そこを修正する必要性が出てきたので瀧の入れ替わりが忽然と行われた。

実のところを言うと、初見の時点から、この「落ちてくる物体の相違点」は気になって仕方がなかった。特にあえて「赤く」表記した、落下してくる彗星の破片をことさらに強調して描いた序盤の書き方は、口噛み酒トリップでの「三葉の間違った記憶」を浮きだたせるための「前振り」なのではないか、との考えだ。当初は「ウワ、書き間違っているよ」なんて思ったりもしたものだが、あの描写は確信犯的であり、わざと間違って表現したのだ。

我々は、すでに2度、「隕石は落ちてくる」と思いこまされている(初見では、大災害を想起もさせない描写なのでこれはこれで困るところだが)。そして、口噛み酒トリップでも、「落ちてくるんだから仕方ない」と思わせつつ、大きな矛盾を内包させながら知らん顔をしてそのまま通り過ぎさせる。落下する場所も物体も歴史の事実とは違い、書き換えをしないといけない状況が起こったからこその歴史改変ができたと考えたい。

解析結果(自信あり):
口噛み酒トリップ上の隕石落下シーンが現実と矛盾しており、それを修正すべく、最後の入れ替わりが起こったとみる。本来の歴史的事実とことなる結果を修正することが必要になった/その結果副次的に町民に死者がでなかった というのが真相。

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