多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

24時間テレビ

「見世物」化する障碍者を憂える 転換期を迎えた「24時間テレビ」

「いやなら見るな」という掛け声が、よりにもよって出演者から投げかけられた某キー局は、今や「振り向けばテレ東」状態。同様にヒダリマキっぽい報道の多いTBSも含めて不調を隠しきれないでいる。
それに比べて日テレ系は、まさに敵失に乗じて視聴率の上積みに成功。いいともなき後のお昼も占有率ではTBSと争えるまでに復調、ゴールデン/プライムともに好調を維持している。

だが・・・
夏場のこの時期、決して日テレ系の番組にはチャンネルを合わさない。それは、障碍者だけが特別扱いされているかのような、演出とも演技(?)ともとれるような映像のオンパレードに、お腹がいっぱいになるのと同時に、「映像化できる人だけ選りすぐっている」ことによる、障碍者の中でも格付けが疑われるようなスタイルとしているところにもよっている。

障がいを持つことを笑いに変えようとする大胆な試みでもあるEテレの「バリバラ」が、なんと、王道の”偽善番組”に喧嘩を吹っ掛けたということで話題になっている。→それがこの記事。軽度だから番組進行もできるわけで、これはこれで『テレビに向いている人だけが出られる』番組と言えなくもない。

方や、真剣に取り組む姿を涙もろい芸能人に見せて感動しているかのように装い、「これって実は演出もこみこみなんですよ」と、内幕を暴露するかのようなパロディーで茶化す。そして、代表スローガン−−−愛は地球を救う−−−は、この番組がスタートした40年前から言い続けているにもかかわらず、6・4や、9・11など、「愛(LOVE)」だけで地球が、日本が回っているわけではないことを如実に示している。

その昔は、ここまで障碍者の方が「見世物化」するような番組構成になっていなかった。
→24時間テレビのwikiが詳しい。
特に今年は、本番中に”暴力沙汰”と思しき映像が流れてしまい、あわや炎上か、という事態にまで発展している。→保守速報より。
そもそも「富士登山を足が満足に動かせない人を使ってやる」こと自体が企画に無理がある。それも、この記事を読むと一合目から、とある。!!!となったのは言うまでもない。健常者ですらそこからスタートしない。そりゃぁ、へとへとにもなるだろうよ。たまたま映り込んだ/しかも生で編集が利かなかったこともあり、決定的な証拠となる同時に、「これが「愛は地球を救う」の正体なのか」と気が付く人たちも出てくるだろう。

私がこの番組を見る=支援することを辞めたのは、「チャリティー番組のはずなのにギャラが発生している」こと、それを知った明石家さんま氏などが出ていないこと に起因している。もちろん、番組自体の過剰ともいえる演出や、登場人物の「させられている感」に我慢がならなくなっていることもある。

「やらない善よりやる偽善」とはよく言われることだが、出演者が金をもらってやるチャリティー番組がある限り、日本に無償の”愛”が根付くことはあり得ない。いい加減、欧米のチャリティー番組を見習って、ギャラゼロの純粋な番組を作ろうとしてみてはどうだろう?
→え?当方の提案を読んでいないですって?それはいけませんなぁ。リンク張っとくから、日テレの担当者は慎んで読むように。

予想ができない「しくじり」  高畑裕太の場合

「しくじり先生~~俺みたいになるな!!」は、一世を風靡しながら、ちょっとした躓きやしくじりで石もて追われたり、芸能界から姿を消したり、多額の借金を背負ったり、その人の人生の縮図と、その振り返りによって、まさにそこに登壇した有名人を反面教師に仕立てて、有頂天になったり、自分を見失ってはいけないのだな、ということを教えてくれる、自虐的ながらも素晴らしい番組である。
※余談だが、さすがにギャグにできる/かなり過去のことで笑い話化できるような人しか登壇しておらず、何人もオファーを断っているそうで、「でれば高視聴率間違いなし」と言える有名人が登場していないのはそのあたりに原因がある。

このしくじり先生の番組が救われるのは、「すべて済んだこと」で扱えるような"軽微"な話題しかなく、重犯罪を犯した/常習犯 の生の声は聞き様がない、というところにある。人生ほとんどすべてがしくじっているS水K
太郎氏など、オファーするのもはばかられるのではないだろうか?あるいはボクサーのTとか…

今回、めちゃイケで某タレントの復活劇が華々しく取り扱われたが、それでも身内の中での"禊"を印象付けるもので、芸人としての復活は、ほど遠いものだと思っている。あの欽ちゃんを嘆き悲しませた罪は、復活やそこらで取り返せる/けじめがつくという問題でもない。

ことほど左様に男女の間の犯罪は、特に体がからむものは、日本人の特性からして、忌み嫌われるのが通例である。それを今売り出し中も売り出し中/親子そろってブラウン管に出ることもそこそこあった息子がやらかしよったのである。

申し訳ないが(身から出た錆なので私が謝るのも変なのだがww)、これでこの人の芸能生活は終了に等しいと考える。よりにもよって、日テレ系の「24時間テレビ」のメインを張るという大仕事の直前の醜聞で、今頃日テレ社内は上を下への大騒ぎ、なんていう表現ではとても伝えきれないほどの大混乱を呈していると推察する。

2世タレントのやらかしは、今に始まったことではない。三田佳子の息子は覚せい剤、横山やすしの息子も傷害(まあ、これは親子ともども問題児だったわけですがw)と、結構多いサンプルがある(もちろん、大多数の2世タレントはまっとうに、あるいは親を凌駕する実績を残したりもしている)。そして、大女優と言うまでには至っていないが、脇も主演もはれるほどにまでランクを上げた高畑淳子の息子のとんでも事件。
残念なのは一時の欲望をコントロールできなかった彼の"魔がさした"行動。すべてを棒に振る覚悟があって襲ったのか、それとも、顔はそれほど知られていない、と踏んでことに及んだか…

「しくじり先生」番組が存続しているのなら、リスト入りしそうな芸能人が、ここに一人生まれた…

俺って天才じゃね?win-winな企画見っけたw

「アイスバケツチャレンジ」も一時のはやりものだった模様で(ていうか、これから気温も下がる時期だというのに、氷水かぶるバカは、さすがにいないだろうと思われ。政治家やら企業が宣伝アイテムに使い出した時点で終了なんですけどねww)、どこでどう収束したのかわからないけれど、一向に話を聞くことがなくなった。

この企画のすごいところは、なんといっても、指名されたら、拒否権が発動できないこと(つまり、氷水の刑が嫌なら寄付はしないといけないという悪魔のルールが存在するところ)。仲間内で回す分にはさほど問題もなかろうが、拡散したときに物議を醸し出すと考えつかなかったところが、企画を考えた人の詰めの甘さである。

さて、今日お披露目する当方の企画は、だれにも迷惑がかからず、しかもチャリティーの側面は忘れていない。そしてもっと重要なことは、「ギャラが発生しない」という部分が存在するということである。
トリガーになったのはこの記事である。→「24時間テレビでチャリティーマラソンに挑戦したTOKIO・城島茂 テレビ業界評は」
そもそも「チャリティーマラソン」と言っておきながら、ランナーにはそれ相応のギャラが発生する。しかも、24時間で走破した距離は101キロ。仮に寝ないで行ったとしても時速4キロ強でしかなく、事実ほとんどの区間で「歩いている」。仮眠をとったとしても、本来、ランニングを業・趣味としていない芸能人には未踏のものであり、行く先々で募金をサポートするとか、呼び掛けることもないまま、走っている画が映るだけ。時々噂される"ワープ"も取りざたされるなど、どう考えてもチャリティーではなく「芸能人の仕事」としか見て取れない。

しかしながら、今や、地区マラソンを始め、各地のマラソン大会は、抽選になるほどの盛況ぶり。これほどまでにマラソンがブームになるとは思ってもいなかったし、それが経済効果を生み出すことまでには考えが及ばなかった。
この市民のマラソン熱とこのチャリティーマラソンが合流したときに導き出される答えは、ただ一つ!

 "今や抽選で、当選することも難しくなった東京マラソンに並ぶ一大マラソン大会にしてしまえばいい"

テレビ局がお金を出してまでマラソンランナーを映す必要はこれっぼっちもないのではないだろうか、そして、それって本当にチャリティーに資する行為なのだろうか、というのがこの企画の原点である。そして、お金を出してでも走りたいと思っている人は多いはずである。まして、参加費を丸ごと寄付に回したとするなら、5000円でも1万人集まれば5000万円になるではないか!
もっともここまでの大会にすると、さすがに運営側の持ち出しがないとも限らないが、一定の参加者が確保できるのなら、沿道の交通整理等もきっちり警察にお任せできるし、ゴール地点を武道館に設定できればなんの問題も発生しない。本格的な大会ではなく、市民が走るだけなので、先頭集団の動向を追っかける程度の機材/人員でよく、それならば「一人」で走っている人を見ているだけより、十分に盛り上がる。もちろん、プロの選手が調整代わりに使うということも考えられるから、ほおっておいても視聴率はついてくる。

おおお、意外に「ただギャラもらって一人が走る」より、すごいエキサイティングになるんじゃないの、と書きながら思ってしまっている。一人がマスターベーションしているさまは、"痛い"のである。それでなくても「ああ、仕事で仕方なく走っているのね」と思ってしまう層が居れば、行為自体の効果も半減する。そして実際にギャラを寄付に回すことは誰一人していないと思われる(すでにこの番組でギャラが発生することは知られており、帰国子女で海外のチャリティー番組のシステムを知っている西田ひかるさんも、「ギャラが出ることに驚いた」と語っている)。
それでなくても、2020年には東京五輪が開催される。内外に向けて、スポーツに関心が高いこと、チャリティーにも真摯に取り組んでいるという姿を見せつけられる、絶好の機会でもあると考える。

芸能人にしか与えられない、「一人旅」の特権。マラソンブームがそれほどでもなかった時代なら、目新しい企画だと思うのだが、義務化しただけにしか見えない企画にはうんざりである。確かに高視聴率も獲得したらしいから、来年もまた誰かが一人旅をするのだろうが、むしろ、一人より二人、二人より大勢、と考えた方が絵的にも盛り上がると思うのだが…。

日テレの担当諸氏には、チャリティーマラソンを「芸能人に走ってもらう」という固定概念から一度解き放たれて考え直してみていただきたいものである。

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