多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

Forbes

過去記事は面白きかな<その16/了> 直撃インタビューを読み解く(その2)

ようやくの最終回を迎えた。

というわけで前回の続きである。

記事が出てきた99年3月…雑誌なので取材完了は99年1月前後とみられる…当時、会社としてのダイエーは、まだまだ往年の輝きを維持していた。
株価でたどろうと思ったが、さすがにWEB上でも存在していない。ヤフーの10年足で、何とか2006年の価格が2000円台あたりまで行っていたことが確認できたくらいである。とはいえ、これは、産業再生機構入りがなり、いわゆる99%減資という"措置"後の話。古新聞でも捕まえて市場を確認しないことには始まらないといえるだろう。

では、記事の後半の中内CEOの発言を紐解いてみる。

『しかし、現在の会社の状況では、「ここで社長を交代したらどうか」という意見は社内から出てきにくいでしょう。』

会社の世代交代を促されての回答でもある。この当時、CEOはまだ76歳。もっとも、会社として斜陽を迎えている時期でもあり、この2年後にすべての役職から退いている。それどころか、記事が出た2月時点で、会長職に退いている(99年1月20に異動発表。副社長だった鳥羽氏が社長に)。産業再生機構入りしたのが2004年と、まさに坂道を転がり落ちるような状況下にあっても、未来を信じて疑わなかったといえるインタビューであり、このときに社長を退くことは想定していなかったのではないか、と思われる。時系列で物事を見ると非常に面白い考察もできるということだ。

記事の最後を締めくくったのは

     『もう心配はご無用です。』

いやいや、94年の4社合併時点で将来を危惧していた、一部識者や当方もいるんですけどねwwリストラもS&Bも全て後手後手。進取の気性があった会社やCEOのセンスとは真逆の経営スタイル。お金が回らなくなることを一切想定していなかったことは、CEO一生の不覚でもあろう。だから「(手は打ったから)心配はご無用」…。

この一言が今となってはむなしく聞こえる。2016年2月に、本当にこの店舗を作ったことを誇りに思っていたであろう、碑文谷(0284)をはじめ、名だたる旗艦店がイオンリテールに譲渡されてしまう。
それでも「心配するな」と言いきれたかどうか…。中内シンパは、もはや社内にはほとんどいないと目されるが、彼亡き10年は、ダイエーがダイエーで無くなった10年といえなくもない。

雑誌の大見出しを覆っている「ダイエーの出直し」。出直しとは、一からの再スタートを意味すると思うのだが、巨額赤字からの再スタートは、結果的に、グループ企業の切り売りと、本体のイオンによる買収で結了した感がある。
この記事が出た99年当時、ダイエーが株式市場からも、そして屋号自体も消える想定というものはどこにも感じられない。それどころか、「再生するに違いない」という思い込みすら感じられる。その根底にあるのは、悲壮感のないCEOの物言いに起因するのではないか、とさえ思う。

偉人とまで持ち上げる気はないがカリスマ性は、CEO以外、ほかの流通業界のトップリーダーにはない。過去記事は、ある意味、未来を想定できないからこそ、解析が面白かったりもするのである。

過去記事は面白きかな<その15> 直撃インタビューを読み解く(その1)

いよいよ、九州/北海道の分離に続き、関東・近畿の主要29店舗を手放す瞬間が刻一刻と近づきつつある。

もし創業者の中内功氏(功の正確な漢字は力の部分が刀/以下CEO)がご存命であったのなら、自らの作った企業が切り刻まれる姿を正気で見守れているのか…。私がCEOの立場なら、そうなる前に手を打っていただろうし、そもそも94年の大合併は、行っていなかったと考えている。

ただ、歴史にタラレバはない。当時のCEOの考え方は「規模を大きくしていかないと=止まってしまったら企業が死ぬ」という規模重視と、本業に結びつくものなら何でも手を出していた異業種への拡大路線で回そうとしていた。しかし、結果的にシナジー効果を生み出す前にすべてがとん挫したことが"ダイエー消滅"の第一歩である。

このインタビューのあと数年を経ずして、産業再生機構入り=会社として倒産しなかっただけまし、という屈辱を味わうことになるのだが、98年当時のCEOの言葉には、一応"力"は感じられる。ただ、当然のことながら、聞き手の絶妙な突っ込みに防戦一方になる場面もあり、わずか3ページながら、読み砕いていくと非常に面白く感じている。

すべてを掲載するわけにはいかないので、気になったCEOの回答部分を書き出してみる。『』内は記事よりの抜粋である。

『我々が考えた「商業の工業化」とは、チェーンストアそれ自体を、百貨店や老舗とは違ったインダストリーとして追及することです。チェーンストアの最終目的は(中略)自社製品であるPB、SBを作って、それを売ることにあるのです。』

この発言の根底にあるのは、「うちの(チェーン)店でしかないものを売る」ということを言っているのであり、まさに第2次「Savings」が勢いを増しつつある時代のことである。メーカー品と違い、常に売り出し的な価格で店頭におけるPBの役割を、CEOが認識していたからこその発言である。くしくも、親会社になっているイオンは、店内ほぼ全カテゴリーでPBがかなりの棚を占めている。CEOをあえて擁護するなら、自身のなしえなかった"偉業"は、親会社が粛々と実現しているということである。

『我々は現金で売って現金で支払う現金主義を取り、企業間信用を一切利用していない。手形は一枚も切っていません。』

ほほぉ、と納得する発言である。そう。不渡りを出せばあっという間に企業は頓挫する。今までの土地本位主義が生み出してきていた、担保価値の上昇が、手形を不必要にさせていたというところは興味深い。事実、確かに借金はあったが、それなりの入りの部分もあった。会社が産業再生機構に入っての再建という選択肢を選んだのは、銀行側に「(回収できる方を)選ばされた」結果と今から思えば、あの時、強行に打って出た銀行サイドの思惑も透けて見える。

スクラップアンドビルドに関しては、
『むこう三,四年で五十店舗ほどの閉鎖を考えており、すでに三十店ほど閉鎖した。』
『我々としてはハイパーマートを二一世紀の業態として考えていきたい。』

・・・ここは残念ながら、CEOの見込み違いになってしまった部分である。確かに二十一世紀をにらんだ業態ではあったし、現に「ラ・ムー」や「ディオ」などを展開する大黒天物産の店舗は、往年のダイエーのハイパーをほうふつとさせるもの。だが、ここに大きな差が存在する。安く売る店舗にお金をかけてしまったのがダイエーである。いくつかラ・ムーにも買い物に立ち寄ってみたが、その安普請ぶりには驚かされる。「だから一気の多店舗展開も可能だったのか…」と気が付くわけだが、どうも「箱から入っていく」思想がCEOにはあったのかもしれない。ちなんでおくと、意外にも、ハイパー店舗で作られ閉鎖した後に、同業他社が入っていく例が結構ある。それだけ、「つぶさずに使える」、いわば城を他社に与えたわけだから、体力が落ちて行って当然である。

というわけで、ほぼ1.5ページ強を読み進めてきたわけだが、次回で最終回としたい。

PVまとめ 2015.8 久しぶりの4000PV乗せ!!攻めの姿勢が功を奏したか

実は、2015.8の出だしは、非常に低調だった。確かに7月末に、「あんな雑誌」を見つけてしまってからというもの、8月末に離脱する店舗のことまで考慮に入れると、その記事の内容の隔世の感ぶりもうかがえるわけであり、結構必死に書いたつもりだった。でも読まれない・・・

まあ仕方ないか、と思いつつ、8月中旬に1日おきに店舗訪問を実施。8/21には、最後の名古屋シリーズを完遂させる。
実はここらあたりからPVが急上昇を始める。そして、8/27の神戸三宮店(0622)のリニューアルオープン記事で一気に昇華。300PV台が2回/200越えも2回など、確実に「見ていただいている」と感じることができている。

ちなみに、営業再開初日のレポートを上げているブロガーは実際私一人だけの模様。8/29の詳報に関しても、ここまでふんだんに店内写真を活用している記事はそうそうなく、今後しばらくは、神戸三宮のレポートは、各方面で活用されるのではないか、と思っている。

というわけで8月の結果は4036PV。久しぶりの4千台突入であり、前半の不調がなければもう少し伸びていたのかな、と思わずにはいられない。

話は変わるが、母親のお使いで、今日も今日とて神戸三宮店に。「一の市」ということもあって出足好調かと思われたが、あんまりな感じ。それもそのはず、急にどしゃ降りが振ったりと天候は不安定。レジに長蛇の列ができていない時点で、今回の一の市はもう一つなのでは、と思わざるを得ない。
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